土曜日, 4月 16, 2005

品川界隈をぶらり 

品川といえば品川神社の境内にある富士塚は外せないと勝手に解釈して足を向ける。
富士塚は、いわゆる富士講の人々が富士山信仰のために、築いたもの。江戸時代のものと考えていた。
しかし、品川神社の富士塚は1869(明治2)年のもの。北品川宿の丸嘉講中300人の人々によって作られたとか。神社自体が小高い丘の上に立っている。その境内の入り口に、こんもりと盛られているものだから、階段から見上げると一際大きく見える。
明治時代といっても江戸後期と呼んでも差し支えない時期に庶民によって築かれた富士塚。その富士塚は最初から現在の地にあったわけではないとのこと。
折角、庶民が築いたものだったが、廃仏毀釈運動の煽りを被って破壊。明治5年に再建されている。それも、1922(大正11)年の第一京浜国道建設のために移転を余儀なくされた。という具合に波乱万丈な扱いを経て境内の入り口に落ち着いたということらしい。












品川へ行ったら麺達も良いが、隣駅の北品川まで気ままに歴史散歩というのも洒落ている。

昨夜、利用している Blogger.com のサーバーにアクセス出来ない状態が続いた。「美と歴史博物館」の更新は夜に行っているので難儀。
連絡を待っている間に、一言メモの「一言主」のページを少しだけ追加。
続いて、デューラーの「サイ」とミケランジェロの「天国創造」、「アダムの創造」を収録。


<<一言主>>
○1884(明治17)年10月31日、困窮した秩父地方の人々は田代栄助を総理、加藤織平を副総理として武装蜂起した。これが秩父事件。

○秩父事件は11月4日の金谷の戦いで鎮圧された。

○秩父事件の残党は上吉田村塚越で信州の菊池貫平を総理とし困民軍を編成し信州での再起を図った。

○北相木村、南相木村に進出した困民軍は吉屋大尉率いる東京鎮台高崎分営兵により鎮圧された。

○宗良親王(1311-1385)は後醍醐天皇の第八皇子で伊那地方を本拠としたことから伊奈親王とも呼ばれる。

○宗良(むねなが)親王は伊那の武士、香坂高宗とともに北朝方と戦った。

○宗良親王の母は二条為子であり、二条流の歌人としても知られている。

○宗良親王は元弘の乱(1331年)で護良親王と挙兵。捕らえられて讃岐に配流された。

金曜日, 4月 15, 2005

ミッシングリンク 

 鳥というのは不思議な生き物。この前、脳の話をしていた時、人間の脳は魚類の脳から両生類、爬虫類の脳を経て、感情を豊かに持つ現在の脳になったという話になった。
人間の脳の中にも爬虫類の脳に相当する部分が残っている。しかし、それは、生存する上で必要最小限度の機能を担っているに過ぎない。
と、ここまでは、そんなものかという話になる。
ところが、それでは鳥の脳はどうなのですかと。話がそこにくると、一直線にはどうも進めない。
鳥の脳は爬虫類の脳に極めて近いのだという。
それならば、鳥の行動は爬虫類の行動に似ているのかというと、そうは問屋が卸さないというのは、カラスなどを見れば分かる。
専門家の間でも鳥は難題なのだとか。
その鳥、ルーツがはっきりしていないという点でも難題。徐々には解明されつつある。
おそらく恐竜から分かれたのだろうと。ただ、どの時点で、どんな恐竜からといったところは、完全には解明されていない。
今日付けのサイエンス誌に発表されるカナダ自然博物館の佐藤たまき研究員らカナダと台湾の研究チームによる、オビラプトロサウルス類と呼ばれる恐竜の体内での卵の化石の発見は恐竜と鳥との間に横たわるミッシングリンクの解明に光をもたらすとされる(発見地は中国・江西省の白亜紀後期の地層)。
爬虫類は沢山の卵を一度に産む。鳥は少ない卵を少しづつ産む。
ここからすると、2個の卵というのは爬虫類的というよりは鳥類的。
一方で、見つかった化石の卵管は2つという所は爬虫類的。ところが、卵管1本に卵1つという組み合わせは鳥類的と言える。
ほとんどの鳥の場合、爬虫類と同じく卵巣と卵管が2つあるが、左側のみが発達し、右側の卵巣は退化、卵管も痕跡としてしか残っていないからだ。
ミッシングリンクと言えば、人類の進化にも解明されていないミッシングリンクがある。それも2つも。
一つ目は人類に最も近いとされている類人猿のチンパンジーと人類との共通の祖先。
もう一つは、最初に二足歩行した人類。
後者に関しては、木を登る生活をしていた人類の祖先が、環境の変化によってサバンナへと生活の場を移したことがきっかけになったのではないのかとされている。
この考え方が直感的に、あまりにも分かりやすかったために、大学の人類学の講義で人類は一度水中生活を経験したことで二足歩行が可能になったという説(アクア説)を聞いた時には衝撃を受けたことを覚えている。

科学は、これから、どんなロマンを見せてくれるのだろうか。

<<一言主>>
○失語症の人でも歌を歌うことが出来る

○手長猿のある種類はパート毎に歌う

○一番進化した手長猿は歌の一部分を切り出して歌える

○幼児は気に入った言葉のフレーズを使うことから始める。単語から覚えるのではない

○モンタノス派(Montanism)は2世紀中頃に出現した聖霊信仰と純粋主義を唱えるキリスト教異端派。

○小アジアで2世紀に流行したキリスト教モンタノス派はモンタノス(Montanos)によって始められた。

木曜日, 4月 14, 2005

新たな謎 

 宇宙定数(Λ)というのは、弱い重力場において、アインシュタインの重力場方程式とニュートンの万有引力の法則との間のずれを表すもの。
ダークエネルギーがあるおかげで、銀河やガスが自分自身の重力で発生する引力によって、宇宙全体が縮まっていくことが抑えられる。
定数というわけで一定の数ということになる。
このことは宇宙の大きさが一定であるということを示している。ところが、後にハッブルの観測で、宇宙が膨張しているということが明らかになる。
その結果、アインシュタインが宇宙項の導入を生涯で「最大の過ち」(biggest blunder)と語ったというエピソードは有名。
という次第で、宇宙定数の背後にあるダークマターに関しては理論的な説明には便利ではあるけれども、存在はしないのではないのかと考えられてきた。
この考えが2003年に覆る。
宇宙定数に疑問を投げかける結果となったハッブルの名が冠せられたハッブル宇宙望遠鏡による観測で、宇宙の年齢がどうやら90億年程度だということがNASAによって明らかにされたのだ。
宇宙は膨張している。ということは天体がどの位のスピードで遠ざかっているのかということが分かれば、逆算して宇宙が1つの点であった時間を計算することが出来る。
実際には、約326万光年離れた天体が秒速何キロで遠ざかるかを表すハッブル定数の精確な観測によって、従来の50から100とされてきたハッブル定数が70前後まで絞り込まれた。ここから、計算すると、宇宙の年齢は65億年から130億年とされていたのが約90億年。
この90億年という数字のままでは、宇宙が星よりも年齢が若いことになってしまう。
今年になって国立天文台や東京大などの国際観測チームが、ウミヘビ座の方向にある「HE1327-2326」という最古の星を発見している。この星の年齢は130億歳。
この発見を見ても、90億年というのが妥当ではないというのが分かる。
というわけで、アインシュタインは後悔などする必要はなかった。なかったのではあるけれど、それではダークマターというのは一体何者だという疑問は残る。

<<一言主>>
○アインシュタインは光の速さを越えるものは宇宙には存在しないことを発見した。

○光速を越えるものは存在しないという理論はニュートンの重力理論と矛盾する。

○ニュートンは、どんな距離でも重力(G)は即座に伝わると考えた。

○アインシュタインは3次元の空間と1次元の時間が織り成す4次元の時空だとした。
これが「一般相対性理論」。これによってニュートンの考え方と折り合いを付けた。

○アインシュタインは重力の波と光は同じ速度で進むと考えた。

○電磁気力は電気の力と磁気の力を合わせたもの。

○19世紀から電気と磁気の間には共通性があるということが知られていた。

水曜日, 4月 13, 2005

境目の怖さ 

 生物であるためには、
[1]外界と膜で区切られていること(自己組織能力)
[2]代謝を行うこと
[3]生殖を行うこと(生殖能力)
という3つの条件を満たさなければならない。ウィルスというのは、生殖能力を持たないという点で非常に微妙な存在。
ウィルスはDNAあるいはRNAと増殖に必要な酵素タンパク質は持っているものの、エネルギーを使って自分を管理することは出来ない、つまり代謝系がない。
という訳で、つまりは、ウィルスは自分単独では生きることが出来ず、誰か他の宿主に寄生(感染)することで初めて自分自身が生きることが出来る。
その意味で、ウィルスは生物と言えるために必要な条件を満たしていない。生物と非生物との間の境目に位置している。
加えて、生物は結晶化を制御しながら自分の構造を保っている。これに対して、ウィルスは、1935年にスタンレーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功したように結晶化しても感染力を保っている。
ウィルスを生物の側に位置付けようとすると幾つもの例外が出てきてしまう。
宿主あってのウィルスであるから、普通はウィルスは宿主を死に追いやるということはしない。宿主が死んでしまうということは、ウィルス自身も死んでしまうということを意味するから当然。
このウィルス、約3600種類あまりが熱帯雨林の中で宿主と共生しているという。
共生している宿主を自然宿主という。ウィルスと自然宿主は共生関係にあるのでウィルスは自然宿主を死に至らしめるということはない。
問題はウィルスが自然宿主以外の宿主に出会ってしまった場合。
当のウィルスにとって一番生活しやすい場所、心地よい場所というのが、本来の宿主の体内。もちろん、自然宿主のほうが心地よく考えているかどうかは別。それでも、自然宿主にとっては、ウィルスはいわば無害。
ところが、何がしかの原因でウィルスが自分の自然宿主以外の生物に感染してしまった場合、その場所はウィルスにとっては望ましくない場所ということになる。場合によっては、ウィルス自身の生存が脅かされるかもしれない。周り中敵だらけ、四面楚歌状態となる。
これは、感染してしまった生物にとっても同じこと。
そして、悲劇が起こる。
ウィルスが宿主を死に追いやる結果を生む。
生物が昔からの自分の生活圏内で過ごしている限りは致死性のウィルスに感染する可能性は低い。生活圏が狭い生物はそれで良い。
しかし、人類の場合はあまりにも生活圏が広がってしまっているために、ウィルスとそのウィルスの自然宿主の生活圏と重なってしまう確率がどうしても高くなる。

ウイルスが人間に感染して、皮膚や内臓に出血を生じさせる出血性ウイルスが近年増加しているのは、人間が熱帯林の奥深くまで入り込んだことに関係があると考えられている。
出血性ウイルスには、ラッサ熱で知られるアレナウイルス(arenavirus)、クリミアコンゴ出血熱・リフトバレー熱・腎症候性出血熱を引き起こすブンヤウイルス(bunyavirus)、黄熱病やデング出血熱を引き起こすフラビウイルス(flavivirus)、そして、 エボラ出血熱やアフリカはアンゴラの首都ルアンダから北東約300キロの町ウイジェで2004年10月頃に発生し200人の感染者を出すという猛威を振るっているマールブルグ出血熱を引き起こすフィロウイルス(filovirus)。

マールブルグ出血熱は、1967年にポリオ・ワクチンの研究用にアフリカのサルの腎臓を培養していたアフリカのドイツのマールブルグ研究所のスタッフに7人の犠牲者を出したのが始まり。1998年12月にもコンゴで50人の犠牲者が出ている。

潜伏期間は2日から21日で、致死率はウイルス性出血熱で一番高く25パーセントから90パーセントという。

コンゴでの発生は短い期間で収束しただけに、今回のアンゴラの感染が長い期間に及んでいることの深刻さが分かる。

<<一言主>>
○アインシュタインはプリンストンでの晩年の20年を宇宙の統一理論(Unification)の探求に費やした。

○「ひも理論」のキーワードは11次元とすぐ隣にある平行宇宙。

○「ひも理論」は宇宙は「ひも」が奏でる共鳴によって成り立っているとする。

○宇宙の現象を統一的に記述する方程式をマスター方程式という。

○1665年のニュートンによる重力という一つの力による宇宙の説明が科学史上初めての統一理論とされる。

○人類が月に立つ際もニュートン力学以上のものを必要としなかった。

○ニュートンの法則は重力とは何かに関しては何も語らない。

火曜日, 4月 12, 2005

一緒に生きる 

 サンゴ(珊瑚)は不思議な生き物だ。
一見しただけでは植物のように見える。実際、18世紀半ばまではサンゴは植物だと考えられていたという。
ところが、サンゴは歴(れっき)とした動物。クラゲ、イソギンチャクと同じ刺胞動物の仲間。
サンゴは卵からかえるとまずプラヌラ(planula)と呼ばれる幼生になる。そのプラヌラがスリックと呼ばれる集団を作り、根を下ろす地を探して海を漂う。
そして、ここぞという新天地が見つかると根を下ろしポリプと呼ばれるものに変わる。
ポリプは無性生殖で増殖して石灰質の骨格を形成していく。
これが珊瑚。
更に、面白いのは植物のように見えるのは外見だけではないということ。
プラヌラ、ポリプと成長していくサンゴ虫の体の中には、褐虫藻という植物プランクトンが住んでいるという。
この褐虫藻は植物であるから光合成を行う。そして栄養分をサンゴに供給している。
家主がサンゴで、褐虫藻は借主。栄養分は、いわば家賃といったところ。
褐虫藻とサンゴ虫は別々の生物ということになるが見事に共生しているということになる。単なる賃貸契約を交わしているだけの関係ではない。褐虫藻が無ければサンゴは生存が危うくなるというから、より強固な関係と言える。
沖縄県座間味村の阿嘉島臨海研究所所長の大森信(まこと)東京水産大名誉教授らが開発したサンゴの人工増殖方法は巻き貝タカセガイの稚貝を活用してサンゴの生育の妨げになる藻類の繁茂を防ぐという。
これも人手を使っているものの共生を上手く活用した方法だろう。
サンゴというのは生物は単体で生きているのではなくて、それぞれの役割を果たしながら、支えあって生きているということを考える、最適な教材のように思えてくる。


<<一言主>>
○αリポ酸は年齢とともに減少。

○αリポ酸が減少すると糖は分解されず脂肪に蓄えられる。

○L-カルニチンは内膜に存在し血中の脂肪を分解する。

○L-カルニチンは骨格筋と心臓の心筋に多く存在。

○中年太りには、L-カルニチンとCoQ10とビタミンB1の組み合わせが有効。

月曜日, 4月 11, 2005

桜は続くよ、村山に 

 村山にも案外、桜がある。
菖蒲園の桜でも楽しもうかと歩いて、途中で予定を変更。唐突に変更したわけではない。歩いているうちに、あそこにもある、ここにもある。と気がつけば菖蒲園へと曲がるべき道を曲がり損ねて歩きすぎ、という次第。
国立音楽大学の校内、拓殖一校の校内、玉川上水の川辺、佼成霊園と桜は続くよどこまでも。
この桜、いわゆる自生種というのは中国の33種、ヒマラヤに3種、日本に9種の他、ヨーロッパで3種、北米に2種あるとか。
正式には、バラ科(Rosaceae)のサクラ属(Prunus)に属する植物のうち、スモモやモモ、ニワウメ、ウワズミザクラを除いたサクラ亜種のみがサクラと呼ばれる。
日本に9種というのに違和感を覚える向きもあるだろう。もっと種類があるのではないのかと。その通りで、園芸品種を含めると日本には約300種のサクラがある。
色々なサクラがあっても、それは桜。
幕末に日本に滞在した英国の外交官オールコックは『大君の都』の中で、

「このような牧歌的な情景がしばしば、過度の飲酒のためにだいなしにされている」

と嘆いた。

桜の花に人生の短さを重ね合わせて想いを巡らせながら、日頃の鬱憤を花の下でぶちまける。この矛盾をも孕む日本人の行動をオールコックは理解することが難しかったのかもしれない。

梶井基次郎の梶井基次郎全集に納められている「桜の木の下には」に有名な一節がある。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。
なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この2、3日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の木の下には屍体が埋まっている。
これは信じていいことだ。」

生きるものの儚さを桜の華々しさに投影する。

だから、万延元年の幕府の遣米使節団副使村垣淡路守範正が『遣米使日記(昭和19.4.20再版阿部隆一編、文學社)』の中で、スミソニアン博物館のミラ展示を見て、

「 こなたの隅に硝子を覆いたる中に人骸の乾物三ツあり、千年を経しものといふ、野晒しの如きものにてはなし、肉皮とも乾きて全骸立てり、男女といへども見分けがたし、天地の万物を究理する故、斯の如きに至るといえど、鳥獣虫魚とひとしく人骸を並て置くは言語に絶たり、額に汗するという古語に反覆せり、則夷狄の名はのがれぬ成るべし。」

と驚愕したのは、丁度、オールコックとは反対の態度だとも言える。

どこに何を見るかは文化に関係しているといったところだろうか。








<<一言主>>
○イギリスの先天性失語症の家系の研究から言語の遺伝子が特定された。

○唖(おし):言葉を発することが出来ない状態。あるいは、そういう状態の人。

○ウェルニッケ野とは、側頭葉にある部分で、他人が話した言葉を理解する機能をもつとされている。

○両親ともにオシでも9パーセントの子しかオシにならない

○ウェルニッケ野の起源は10万年以上前と考えられている。

○手長猿は歌のような鳴き声で会話する。

○手長猿は他の類人猿よりも種類が豊富で9種類ほどが知られている。

日曜日, 4月 10, 2005

また始めようかと 

大南の菖蒲園では桜が満開。生憎と日曜日は開園していない。それでも、春の心地は公園には閉じ込めようが無い。
低い、しかも、隙間がうんと空いている鉄のフェンス越しに、道から満開の桜を愛でることが出来る。
桜だけではない。人気や注目度といった尺度では、この時期、桜に主役を譲ってしまうが、梅の花も満開。
写真に納めようとしてカメラを持参していなかったことに気がつく。昨年の夏から秋にかけては地元の何ともない風景、見慣れた景色を散歩の度に撮っていた。
それが、寒くなって、散歩から遠のいたのをいいことに怠った。
花粉症であるから、そう散歩も出来まいが、また、少しずつ、「武蔵村山的情景」でも始めようかと思い立つ。

美と歴史博物館にエルミタージュ所蔵のイギリス人画家の作品を追加。

Thomas Gainsborough の「Portrait of a Lady in Blue
George Hayter の「Portrait of E.K. Vorontsova
George Romney の 「Portrait of Mrs. Harriet Greer
George Morland の 「Approaching Storm
Marcus Gheeraerts II の 「Portrait of an Unknown Man
Joshua Reynolds の 「Cupid untying the Robe of Venus

絵画の分野ではイギリスは大陸諸国に遅れをとっていたと言わなければならない。イギリス絵画というジャンルが確立するのは17世紀末から18世紀。それまでにも、16、17世紀にイギリスで活躍する画家はいることにはいた。
そこに、1723生まれのReynolds、1724生まれのStubbs、1729生まれのGainsborough、1734生まれのRomney、1756生まれのRaeburnが登場して来る。
この18世紀イギリス絵画の夜明けには、1763年生まれのMorland 、1769生まれのCrome 、1775年生まれの Turner 、1776年生まれのConstable が続いていく。
1768年には、ジョシュア・レイノルズを初代院長として王立アカデミーが創設され、風景画、風俗画中心のイギリス絵画はヨーロッパ大陸でも知られるようになる。
こうしたイギリス絵画はフランスとは異なり、古典古代あるいは聖書以外の現代的事件を主題とした絵画をも生み出すことになる。
その古典から解き放たれた目で観察され描かれた風景画、例えば、コンスタンブルの風景画は後に印象派に影響を与えていく。


<<一言主>>
○植物の細胞が壊れると液胞が破壊されファイトケミカルを活性化させる酵素と反応する。
○ファイトケミカルのファイトはギリシア語で植物のという意味。

○ブロッコリのスルフォラファンもファイトケミカル。

○ファイトケミカルは人間にも毒。しかし、ワクチン効果を発揮し、毒を以って毒を制するで、活性酸素を追い出す酵素の働きを良くする。

○スプラウトにはワクチン効果とビタミンC効果の二重の効果で活性酸素の増加を抑える。
○人類が言語を獲得したのは遺伝子解析によって10万年前からと考えられている。

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