日曜日, 4月 10, 2005

また始めようかと 

大南の菖蒲園では桜が満開。生憎と日曜日は開園していない。それでも、春の心地は公園には閉じ込めようが無い。
低い、しかも、隙間がうんと空いている鉄のフェンス越しに、道から満開の桜を愛でることが出来る。
桜だけではない。人気や注目度といった尺度では、この時期、桜に主役を譲ってしまうが、梅の花も満開。
写真に納めようとしてカメラを持参していなかったことに気がつく。昨年の夏から秋にかけては地元の何ともない風景、見慣れた景色を散歩の度に撮っていた。
それが、寒くなって、散歩から遠のいたのをいいことに怠った。
花粉症であるから、そう散歩も出来まいが、また、少しずつ、「武蔵村山的情景」でも始めようかと思い立つ。

美と歴史博物館にエルミタージュ所蔵のイギリス人画家の作品を追加。

Thomas Gainsborough の「Portrait of a Lady in Blue
George Hayter の「Portrait of E.K. Vorontsova
George Romney の 「Portrait of Mrs. Harriet Greer
George Morland の 「Approaching Storm
Marcus Gheeraerts II の 「Portrait of an Unknown Man
Joshua Reynolds の 「Cupid untying the Robe of Venus

絵画の分野ではイギリスは大陸諸国に遅れをとっていたと言わなければならない。イギリス絵画というジャンルが確立するのは17世紀末から18世紀。それまでにも、16、17世紀にイギリスで活躍する画家はいることにはいた。
そこに、1723生まれのReynolds、1724生まれのStubbs、1729生まれのGainsborough、1734生まれのRomney、1756生まれのRaeburnが登場して来る。
この18世紀イギリス絵画の夜明けには、1763年生まれのMorland 、1769生まれのCrome 、1775年生まれの Turner 、1776年生まれのConstable が続いていく。
1768年には、ジョシュア・レイノルズを初代院長として王立アカデミーが創設され、風景画、風俗画中心のイギリス絵画はヨーロッパ大陸でも知られるようになる。
こうしたイギリス絵画はフランスとは異なり、古典古代あるいは聖書以外の現代的事件を主題とした絵画をも生み出すことになる。
その古典から解き放たれた目で観察され描かれた風景画、例えば、コンスタンブルの風景画は後に印象派に影響を与えていく。


<<一言主>>
○植物の細胞が壊れると液胞が破壊されファイトケミカルを活性化させる酵素と反応する。
○ファイトケミカルのファイトはギリシア語で植物のという意味。

○ブロッコリのスルフォラファンもファイトケミカル。

○ファイトケミカルは人間にも毒。しかし、ワクチン効果を発揮し、毒を以って毒を制するで、活性酸素を追い出す酵素の働きを良くする。

○スプラウトにはワクチン効果とビタミンC効果の二重の効果で活性酸素の増加を抑える。
○人類が言語を獲得したのは遺伝子解析によって10万年前からと考えられている。

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