土曜日, 1月 03, 2004

宝登山神社 


宝登山神社本殿

宝登山神社奥社

今年の初詣。蝋梅を堪能することも兼ねて宝登山へ。宝登山は標高794メートル。新聞紙シクナ(497)と覚える。
山頂まで行くロープウェイもあるけれども、ロープウェイで往復というのは味気ないということで歩いて山頂まで赴いた。
山頂には宝登山神社の奥社が鎮座している。この宝登山神社は約1900年前、日本武尊が東北遠征の折に神武天皇(神日本磐余彦尊)、大山祗神、火産霊神の3柱を祀ったのが起源と伝えられている。
そもそも、宝登山というのは火止山の訛言であり、日本武尊がこの山に登る際に何処から放たれた火に包まれるという危難を救った大きな犬達によって救われたという故事に由来するという。宝登山神社と並び秩父三社と称される三峰神社も犬(狼)と所縁があるが、宝登山に現れたという犬も関係あるのだろうか。
宝登山に現れた犬達は御眷属の大口真神とされお犬様として信仰を集めている。
宝登山神社は明治における神仏分離令によるまで別当玉泉寺が管理。明治2年に玉泉寺の管理を離れ、宝登神社として藤谷渕村の村社となる。明治39年に県社となり、続いて大正14年に宝登神社から現在の宝登山神社と名前を変えた。
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828

木曜日, 1月 01, 2004

平安王朝 保立 道久 

平安時代というのは、桓武帝が平安京に遷都した延暦13(794)年つまり8世紀末から平家一門が長門国は壇ノ浦で水の泡となった元暦2(1185)年すなわち12世紀末までのなんと400年間。長い期間であるにもかかわらず、一般の人にとっては比較的馴染みのない時代だとも言える。
この間に在位した天皇は桓武帝から安徳帝まで23人に及ぶ。
その流れを「王の年代記」として記述することを目指した意欲作。
本書にある通り、この時代は世界史的に見ると非常に重要なターニングポイントであった。まず、9世紀にはヨーロッパはフランク王国のカール大帝(シャルル=マーニュ)がゲルマン民族の統一を成し遂げている。12世紀は十字軍で知られるイギリスのリチャード獅子心王の時代。日本が最も影響を受けた中国においては8世紀は唐の玄宗皇帝の時代からチンギス=ハーンの時代に相当する。
大きく時代が動いていたのである。
日本でもスケールは異なり、内容も異なると言わざるを得ないものの、ある意味で時代が動いていたということが本書で分かる。
国の中枢にある人々が男色にはしっていたり、男女関係が大きく影響していたという行(くだり)には改めて驚かされる。
また、清和源氏と伊勢平氏との微妙な関係が清和源氏の嫡流が一貫して冷泉、三条帝そして小一条院という天皇家のいわば傍流に忠誠を誓っていたことに求められるという視点も新鮮に感じた。いままで、武門源氏の嫡流というと摂関家に仕えて台頭したというイメージが強かった。しかし、武門源氏自体も摂関家と同じく王統に複雑に連なる一族に違いはない。その武門源氏の嫡流が摂関家とは別のアプローチで王統への接近を図り、しかも王統の傍流に忠実であったという事実は認識を改めるに十分な指摘と言える。

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火曜日, 12月 30, 2003

波除稲荷神社 

築地の場外に鎮座する市場の守護神。
築地の埋め立てが行われた万治年間(1658-61)。工事は荒い波に洗われて困難を極めたという。そこに海から出現したのが稲荷像。その像を祀ると工事も上手くいったとされる。
築地の南には尾張家蔵屋敷があり、当時から波除稲荷の周囲は荷を運ぶ人々の厚い信仰を集めた。3年に一度開催される例大祭で使われる獅子頭は嘉永元(1848)年の作であり当時の面影を現在に伝えている。

東京都中央区築地6-20-37

ケッペンの気候区分 

ドイツの気候学者ケッペン (Wladimir Peter K?ppen)が植生の分布を元にして考案した気候区分。A、B、C、D、E、Hとアルファベット記号でそれぞれの気候を6つに分類し、さらに、雨の少多等で合計で12区分する。

月曜日, 12月 29, 2003

『日本のキリスト教』 古屋安雄著 

日本ではキリスト教人口は1%を超えない。西洋文化を我が物としてきた明治以降の日本においてキリスト教が市民権を持ち得なかった原因を、明治期、旧武士階級によって受容されたがゆえの厳格主義、知識人偏重としている。
なるほど、日本ではキリスト教は普及していない。
しかし、あの聖徳太子の周囲には景教すなわちキリスト教の影響が見られるという考え方もある。
聖徳太子こと厩戸皇子は、敏達天皇元(572)年に穴穂部間人皇女が厩戸に来たところで陣痛もなく生まれたとされている。厩(馬屋)で生まれたということは大いにキリストの生誕のシーンを連想させる。さらに、太子に景教の教えを伝えたとされる秦氏の建立による蚕社(延喜式内社木島神社)の三柱鳥居は三位一体を象徴するとも、太秦の広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏思惟像の手の形は西方の大司教像の手の形に酷似し、やはり三位一体を示すものとも言われる。
そして、聖徳太子の手になる日本最初の憲法である十七条の憲法にさえ、その影響があるという。
久米邦武氏は、太子が晩年に随へ多くの僧を派遣した際に、キリスト教が日本に伝来してきたのではないかとの説を呈示している。
もっとも、このキリスト教は431年にエファソス公会議で解釈の違いから異端されたネストリウスによるキリスト教ネストリウス派。
活路を東方に求め、中国では唐の時代に流行した。
もし、この景教が日本に伝来し異説の通りだとすると、日本には確りとキリスト教が別の形で根付いたということになる。
ということは根付かなかったのは、明治維新後に入ってきた新たなキリスト教ということに....

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歴史の方程式―科学は大事件を予知できるか マーク ブキャナン  

歴史に法則性はあるのか。いや、歴史は不可逆的な現象だから法則性などありはしない。
それでは、歴史には人類の智慧の結晶でもある科学の積み重ねられた成果を適用することは出来ないのか。
そうした思いをすっきりと晴らしてくれる書。
もっとも、このような書籍が出ることも、歴史に法則性があるのだと言い切れるようになったのも最近に至るまでの科学の成果の賜物。
著者は、地震、山火事などの自然現象も、景気循環、都市の発達などの人間の意志が介在する事象も、自然界に遍在する「冪乗則」という、同じ法則に従って起こっているとする。
この、「冪乗則」というのはハーバードの言語の教授ジョージ・キングズレーZipf(1902-1950)が発見した法則。もともとは、文書中の語を出現頻度順に並べて順序をつけると、その順位rと頻度fの積が定数Cになるという次のような経験則のことを指した。
しかし、広く都市の集積に関しても応用できるということはクルーグマンも指摘しているところ。

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日曜日, 12月 28, 2003

死亡記事を読む 諸岡達一著 

たった十数行の死亡記事。その中に凝縮されたドラマが潜んでいる。
「死亡記事アナリスト」を自称する著者による主要新聞の死亡記事を比較分析する。たった十数行。但し、死亡記事の裏側に潜んでいる真相を表に炙り出すということを本書に期待すると裏切られる。
その手のものを、本書の厚みの中に詰め込むことは無理難題というものだろう。
あくまでも読み易く分かりやすく、欧米の新聞並みに日本の新聞社に「死亡記事部」を設けよという主張を素直に肯定できる流れを作っている。


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日本再生に「痛み」はいらない 岩田規久男/八田達夫著  

小泉政権が成果を強調している小泉流構造改革は果たして思惑通りの成果を上げているのだろうか。
こうした疑問と不安に対して、日本を代表する2人のエコノミストは、小泉内閣が数年にわたって続けてきた経済政策を正面からの批判を展開している。
批判だけではない。エコノミストの責任として、小泉流構造改革に対する代替案も提示。
曰く、マクロ的な需要不足に対して財政金融政策を割り当ててまずデフレを終息させよ。次に長期的な生産性上昇のために構造改革政策を割り当てよ。
つまりは、痛みを伴うことなく、経済の構造改革を成し遂げる方法を提案しているのである。構造改革には当然の如く痛みが伴うものだと刷り込まれている向きには鱗が落ちる。
政策当局の常識に従えば、積極的な財政金融政策は構造改革に反する。
しかしである。痛みを受けるのは、痛みを感じるのは、犠牲を強いられるのは政策当局ではない。痛みのない政策オプションがあれば越したことはない。
ここまででも面白そうな内容だが、さらに都市再生をも論じているということも本書の特徴と言えるだろう。そう、八田氏は謂わずと知れた俊経済学者。その八田氏曰く、分散ではなく東京を強化すべし。これも分散が常識化してしまった頭には新鮮。
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