土曜日, 5月 15, 2004

永遠から外れた.... 


永遠から外れた無限を繰り返す人

美しき哉 


なんと美しい夕日なのでしょう!
厚く天を覆っている黒い雲とのコントラストが隠れ行く太陽を際立たせています。

金曜日, 5月 14, 2004

方言ブーム 

CDブック 声に出して読みたい方言』という本も出ていますが、最近は方言ブームなのでしょうか。
日本語ブームから来て方言へとスライドしているのかも。
標準語の起源は三河弁だとか、いやいやそうじゃないだとかいろいろある。だけれども、ここまで標準語が一般化して全国どこへ行っても標準語だらけというのはちょっと寂しい限り。
だって、ほら、佐賀に行ってテレビを見たらニュースを佐賀弁でやっていたとか、そういう展開があると新鮮でしょ。違うかなぁ。東京「都」なんて標準語ばかりという認識が一般的だけど、実際はそうじゃぁない。というかそうじゃぁなかった。新撰組で知られる多摩地方には多摩の方言があるし、下町には下町の江戸っ子言葉があったわけで、今では薄くなっていってしまったわけだけど。
やっぱり、全国津々浦々全て同じ話し言葉というのは面白くないと思うのは私だけなのかな?
こんなもの
富山弁名古屋弁も。
この名古屋弁バージョンで朝日新聞の記事(2004年5月10日)を翻訳してみると、
『中央教育審議会が「学校の組織運営」について本格的な検討を始める。子どもを教えるのが上手な教員は「マイスター」として校長待遇にしたら? そんなテーマも議論になりそうだ。』
が次のようになる。
"中央教育審議会が「学校の組織運営」について本格的な検討を始めるちゅうこったぎゃあ。子どもを教えるのが上手な教員は「ミャアスター」として校長待遇にしたら? ほんなたーけたテーマも議論になりそうでにゃあきゃぁ。"
ちなみに、Fさんの周辺の土方のおっちゃん風に変換すると上の朝日新聞の記事は
『中央教育審議会のクソが「学校の組織運営」やら本格的な検討とか始めくさったらしいわ。ガキにたたっこむんが上手いセンコーが「マイスター」だの抜かして校長待遇にすりゃええ だのテーマじゃぬかしてつばとばすらしいで』
となるようです。
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木曜日, 5月 13, 2004

デジタル・シネマ 

5月28日にコンテンツクリエーション・アンド・コミュニケーション学会(SCCC)の第1回年次大会が開催される。そこで、『スパイ・ゾルゲ』の非圧縮ディジタル上映が行われる。
1999年の『スターウォーズ・エピソードI』によってデジタルシネマの時代は幕を開けた。その技術はテキサス・インスツルメンツによるDLP(Digital Light Processing)シネマ(TM)によるもの。映写方法も全く異なり、ハードディスクから直接、映写機を通してスクリーンに上映される。
日本では『千と千尋の神隠し』が初めてのDLPシネマ(TM)上映。
『スパイ・ゾルゲ』の撮影で全編をデジタル撮影した篠田正浩監督は、「デジタル・フォトジェニー」という新しい映像製作を目指したという。そこにおいては映画は、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠の絵画に類似するという。そして、映画監督はもう一度「偉大なる画家」に立ち戻る必要があるとする(スパイ・ゾルゲ....次世代のデジタルシネマ制作へ ...は筆者略)。
映像芸術として絵画の一つの流れは正確性を追及しカメラを生み出し、さらには写真芸術を生み出した。そして、そうした流れの中からありのままの動く映像を見てみたいという自然な欲求が頭をもたげ、それが映画へと繋がっていく。その流れが良い意味で、つまりより映画の持つ非現実の現実化、芸術性の深化という形を採ってルネサンスへと立ち戻っていこうとしているのかもしれない。
無声映画からトーキーに移るときには賛否両論があったという。それほどまでに当時はインパクトがあったということだし、表現方法にも変化が生じた。カラーへの移行もしかり。その意味では、CGの多用もしかりだろう。そして、CGの多用はデジタルシネマという方向へと向って進んでいる。今の段階でも、あっと言わせる映像で唸らせるようなストーリー、しかも、CG周りの技術が進んでいなければ出来なかっただろうという映像が多々ある。この先、これまで以上に進歩することだろう。現在の延長線で進むだけとも思えないので、何が起こるのか楽しみなところ。


三河商人 

元気の良い会社と問われてすぐに頭に浮かぶのがトヨタ。いろいろな企業がツライときにトヨタのやり方に学ぼうとする。しかし、喉もと過ぎればであって少しばかり景気が上向いて業績が良くなると、トヨタに学ぼう運動は下火になってしまう。曰く、なんだ我が社もやれば出来るじゃないか。もうトヨタのやり方をムリムリやることはないな。
そう、ムリムリやっている。体質に合わないわけだ。それでも、やろうとするなら体質改善からしなければならないだろう。これは、大変だ。
で、トヨタの強みの源泉っていうのは何なのだろうと、ウラさんの呟き。
もともと、三河の岡崎周辺、つまりは徳川家康が出たところには三河商人と呼ばれる人々がいたという。日本の近代商業のルーツは近江商人だって言われている。
例えば、近江商人博物館のページによれば、伊藤忠商事、丸紅、トーメン、高島屋、大丸、西武それから日清紡、東洋紡に日本生命、ヤンマーが近江に起源を持っているという。そうそう、忘れてならないのは西武もそうだということ。彦根に足を伸ばしたときに西武のバスを多く目にした。
他にも富山商人、大阪商人、甲州商人というのが古くから知られている。そして、そこにルーツを持っている企業も現存している。しかし、早くからありとあらゆる資本を導入してありとあらゆる商業分野に進出するという『挺子遣いの利』こそが近江商人を江戸時代を通じて商人の王座に据えたとされる。
さて、三河商人を形つくるものとは何なのか?
しばしば、三河商人は『石橋を叩いても渡らず、他人を先に渡らせる』なんて言われるほどに商売に対しては慎重だと言われる。
そして、このことを裏付けるかのように、司馬遼太郎の『覇王の家』には三河出身の徳川家を『極端に自己保存の神経に過敏な性格』とし『その家が運のめぐりで天下をとり、三百年間日本国を支配したため、日本人そのものの後天的性格にさまざまな影響をのこすはめになった』というくだりがある。適切に三河気質を捉えているかどうかは別として、『極端に自己保存の神経に過敏な性格』というのは『石橋を叩いても渡らず、他人を先に渡らせる』に通じる。
また、江戸時代には三河周辺は天領は少なく多くの領地が入り組んでいて、広範囲に統一された政策が取られなかったために、領民は権威に頼ることなく自主独立しなければならなかったという。加えて、明治時代にも三河の地は徳川家との関係から冷遇されるという運命にあった。
このことが、更に一層三河気質を強める方向に働いたのではないだろうか。
その三河の気質の上に三河商人の気質がある。各個人が自立しようという基本的志向を持っている中では単純なる上位下達式や権威にしか裏付けられていない形での縛りは効果が薄い。何がしかの理念に共鳴して頑なまでに上も下も新入社員もベテランも共鳴して働く。この辺りがミソなのではないのかなどとも考えをめぐらせて見る。
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水曜日, 5月 12, 2004

エトナ山 

エンペドクレスの記事で彼がエトナ山に身を投げたことを紹介した。後に映画を生み出す光学理論の先駆者がエトナ山と関係しているわけだ。そのことはフォトジェニー論を発展させ映画というのは物に命を吹き込む行為に他ならないという論を唱えたフランスの映画理論家ジャン・エプスティン(Jean Epstein[1897-1953])の著作「エトナ山から見た映画」にも表現されている。

EMPEDOCLES (483-424 B.C.) 

古代ギリシアの哲学者。エンペドクレスは光は物質あるいは微小物(corpuscles)であるとした。現代では、光とは電磁波すなわち電場と磁場が一体となって振動する波だとされている。このうち、可視光は、波長が4?7x10-7m。
だからといって、エンペドクレスは誤った考え方をしていたということも出来ない。現代科学でも、光を一種の素粒子と見なして光子と呼んでいる。
現代科学によれば、物質はクォークとレプトンからなるという。そして、クォークとレプトンはそれぞれ6種類。 さらに、その素粒子の相互作用として強い力、電磁力、弱い力および重力の4種類があるとするわけです。光子は、こうした力を伝える媒介粒子として、8種のグルーオン(強い力)、光子(電磁力)、3種のウィークボゾンW+,W-,Z(弱い力)があるとされているのである。
紀元前のはるか昔に、こうした現代の考え方にも繋がることを考えていた人物がいたというのは驚きである。それもそのはず、このエンペドクレスはギリシア哲学の2哲人ヘラクレイトスとパルメニデスの相対立する考え方を包括する考え方を呈示した人なのだ。
ヘラクレイトスは『存在は変化する』とし、パルメニデスは『存在は変化しない』という説を唱えた。これは、そのまま読むなら真っ向から対立する考え方ということになる。
しかし、エンペドクレスは考えた。
決して変化しない最小単位の根源(彼は地・水・火・風を根源と考えた。これが元素という考え方へと繋がっていく)があって、その最小単位が結合することで多種多様な物質を形作っているというならばヘラクレイトスの『存在は変化する』という考え方もパルメニデスの『存在は変化しない』という考え方も正しいのではないのかと。そして、それらの根源的なものを結びつけるのが『愛』であり分離する力が『憎しみ』だとしたところは古代ギリシアらしいところではある。
なお、彼は、自分自身が神であるということを証明するためにエトナ山に身を投じている。しかも、丁寧に靴を脱いで身を投げたという逸話まで残っている。
こうした物語性を持っている人物が『光』の本質について考察を行ったということは、後世、光学の知識から映像技術が、そして映画が生み出されていったことを思うと因果を感ぜざるを得ない。

シネマも美術です 

まぁ、そういう訳で映画の感想の記事を独立させました。1000本映画を見れたら最高です。

[後日注(2004/08/01)]沢山コーナーを作るのも面倒なので、同じ『過日録』のブログに再統合。これで、再び、始めた当初の『美と歴史』と『過日記録』の2本体制に。

火曜日, 5月 11, 2004

アトランティスのこころ 

誰にでも子供だった時代がある。そして、子供時代には1つや2つ不思議な体験があるだろう。それは幼いが故に見ることの出来た幻だったのかもしれない。成長するにつれて作られてしまった記憶であるということもあるだろう。
この映画は、誰もが経験したそうした懐かしい時代を思い起こさせてくれる。題名のアトランティスは消え去った伝説の古代大陸のように消えていった子供時代を意味しているという。そう、子供時代は人生のアトランティス時代でもあるのだ。何が起きたのか大人になるとともに正確に思い起こせなくなる。それと反比例するかのように思い出は輝けるセピア色に染まっていく。
触れることで相手の心の出来る謎の老人テッド(アンソニー・ホプキンス)と彼が下宿する家の息子ボビー(アントン・イェルチン)を中心として物語は進行していく。テッドを訝しがる母のリズ(ホープ・デイビス)、ボビーの親友サリー(ウィル・ロスハー)そして初恋の少女キャロル(ミカ・ブーレム)が思い出を彩る。テッドに迫る魔の手と、守ろうとするボビー。物語のもう一つの軸はボビーとキャロルの物語。この辺りはこの作品が単なる不思議物に留まっていないことを示している。
キャロルの娘とホビーとの最後の再会のシーンは、二度と会うことのなかった謎の老人テッドとの思い出をより一層幻の中に押し込めている。
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2002,ワーナー
監督: スコット・ヒックス Scott Hicks /製作: ケリー・ヘイセン/製作総指揮: ブルース・バーマン Bruce Berman / マイケル・フリン Michael Flynn
原作: スティーヴン・キング Stephen King /脚本: ウィリアム・ゴールドマン William Goldman /撮影: ピョートル・ソボチンスキー Piotr Sobocinski / アレン・ダヴィオー Allen Daviau  (クレジットなし) / エマニュエル・ルベッキ Emmanuel Lubezki  (クレジットなし) /編集: ピップ・カーメル Pip Karmel /音楽: マイケル・ダナ Mychael Danna  
出演: アンソニー・ホプキンス Anthony Hopkins テッド・ブローティガン/ホープ・デイヴィス Hope Davis リズ・ガーフィールド /デヴィッド・モース David Morse ボビー・ガーフィールド /アントン・イェルチン Anton Yelchin ボビー・ガーフィールド(少年時代) /ミカ・ブーレム Mika Boorem キャロル・ガーバー /アラン・テュディック Alan Tudyk モンティ・マン /アダム・ルフェーヴル Adam LeFevre ドナルド・ビーダーマン /トム・バウアー Tom Bower レン・ファイルズ /セリア・ウェストン Celia Weston アレイナ・ファイルズ /ティモシー・レイフシュナイダー Timothy Reifsnyder ハリー・ドゥーリン /ウィル・ロスハー Will Rothhaar サリー=ジョン

月曜日, 5月 10, 2004

マイノリティ・リポート 

T・クルーズ演じる犯罪予防局のアンダートンがプリコグに予知された殺人を犯すことを回避出来るかが焦点となる前半。そして犯罪予知システム自体に隠された犯罪が暴かれる後半。ここに物語の破綻を指摘する向きもある。しかし、ブリコクグという特殊能力者という非システムに依存するシステムと特殊能力者に依存しない旧来の反システムが入れ替わりメビウスの輪のように連続する所にメッセージがある。
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マイノリティ・リポート 特別編

日曜日, 5月 09, 2004

星に願いを 

「笙吾、会いたいよ〜」と叫ぶ青島 奏(かな)役の竹内結子の声を忘れることが出来ない。涙もろいほうであることを差し引いても、全編にはかない想いが溢れ、涙なしではとても。函館という街も二人の切ない想いをひきたてている。冒頭と最後のシーンの函館の夜景は省吾と青島の最初と最後のクライマックスに対応。しかも、流星群と地上を彩る無数の明かりは二人の物語が二人だけのものではないことを伝える。

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竹内結子・吉沢悠主演、冨樫森監督

チェンジング・レーン 

二人の男の決して交わることの無かった運命がたった一度の車線変更で触れ合い絡み合っていく。そこにはどうしようもない運命に翻弄されている様を描いているだけのように見えてそうではない。二人が再会するのが教会の前であったり、すれ違うのが裁判所であるという対照性も面白い。しかし、それ以上に運命の選択をしているのが他ならぬ本人というメッセージは結末への伏線となっている。

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ベン・アフレック、S.L.ジャクソン出演、ロジャー・ミッチェル監督(2002)

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