水曜日, 5月 12, 2004

EMPEDOCLES (483-424 B.C.) 

古代ギリシアの哲学者。エンペドクレスは光は物質あるいは微小物(corpuscles)であるとした。現代では、光とは電磁波すなわち電場と磁場が一体となって振動する波だとされている。このうち、可視光は、波長が4?7x10-7m。
だからといって、エンペドクレスは誤った考え方をしていたということも出来ない。現代科学でも、光を一種の素粒子と見なして光子と呼んでいる。
現代科学によれば、物質はクォークとレプトンからなるという。そして、クォークとレプトンはそれぞれ6種類。 さらに、その素粒子の相互作用として強い力、電磁力、弱い力および重力の4種類があるとするわけです。光子は、こうした力を伝える媒介粒子として、8種のグルーオン(強い力)、光子(電磁力)、3種のウィークボゾンW+,W-,Z(弱い力)があるとされているのである。
紀元前のはるか昔に、こうした現代の考え方にも繋がることを考えていた人物がいたというのは驚きである。それもそのはず、このエンペドクレスはギリシア哲学の2哲人ヘラクレイトスとパルメニデスの相対立する考え方を包括する考え方を呈示した人なのだ。
ヘラクレイトスは『存在は変化する』とし、パルメニデスは『存在は変化しない』という説を唱えた。これは、そのまま読むなら真っ向から対立する考え方ということになる。
しかし、エンペドクレスは考えた。
決して変化しない最小単位の根源(彼は地・水・火・風を根源と考えた。これが元素という考え方へと繋がっていく)があって、その最小単位が結合することで多種多様な物質を形作っているというならばヘラクレイトスの『存在は変化する』という考え方もパルメニデスの『存在は変化しない』という考え方も正しいのではないのかと。そして、それらの根源的なものを結びつけるのが『愛』であり分離する力が『憎しみ』だとしたところは古代ギリシアらしいところではある。
なお、彼は、自分自身が神であるということを証明するためにエトナ山に身を投じている。しかも、丁寧に靴を脱いで身を投げたという逸話まで残っている。
こうした物語性を持っている人物が『光』の本質について考察を行ったということは、後世、光学の知識から映像技術が、そして映画が生み出されていったことを思うと因果を感ぜざるを得ない。

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