土曜日, 4月 30, 2005

氷見にて魚を喰らう 

井波で見事な木彫りを見学。
高岡に入って海鮮市場に立寄り。美と歴史の旅では外せない、国宝瑞龍寺を堪能する前に、氷見の漁港に昼食を摂るため向かう。
くじ引きで三等を当てる。1000円程の干物セット。

金曜日, 4月 29, 2005

黒部は雨 

宇奈月駅を8時に出発。窓付きの特別列車で鐘釣へ。その先の欅平まではまだ開通していない。
雪なお目立つ景色を見、雨に降られて、若い緑の色の深さを知る。
朝、宇奈月に到着した時には激しい雨が降っていた。このぶんではトロッコに乗っても大変ではないか。そう考えて、トロッコ列車に乗るのを止めようかとも考えた。
しかし、どうだろう。
列車に乗る段になると雨は小降りに。


鐘釣三尊像
黒部川の氾濫を防ぐために安置されたもの

この日はまだ、鐘釣駅までしか開通していなかった。しかも雨。
鐘釣駅の構内で約1時間を過ごす。
構内からは対岸の万年雪を目にすることが出来る。
鐘釣駅の次ぎの駅は猫又駅。

猫又駅


ねずみ返しの壁

出六峰

猫又駅の対岸にあるのが猫又の名前の由来ともなった垂直にそそり立つねずみ返しの壁。
その壁のすぐ隣に華麗な建物。この建物は「富山の建築百選」に選ばれた名建築。

黒部川第二発電所


出し平ダム



笹平駅



笹平駅を過ぎると、沿線で最も峻険な谷に架かる高さ60メートル、長さ64メートルの後曳橋。走るトロッコ列車からの写真なので少しボケ気味。橋の隅に写るのはトロッコ列車の最後部。この後曳橋というのはかつて入山者が谷の深さに驚愕して引き下がったことによるという。

後曳橋

後曳橋を渡ると黒薙駅。
ここで途中下車する人も。黒部川と黒薙川とが合流する黒薙には黒薙温泉旅館がある。
黒薙温泉は麓の宇奈月温泉の源泉。
ということで、ここから乗車する人も。

黒薙駅


柳橋駅を出ると中世ヨーロッパのお城のような建物が目に飛び込んでくる。
平成5年に設置された新柳河原発電所。

新柳河原発電所


そして、宇奈月駅到着。

木曜日, 4月 28, 2005

ドキドキ度 

 ゴールデンウィーク前日。楽しいことというのは始まるまでが本当に楽しくて、当日になると楽しさはあっという間に過ぎてしまう。考えてみると前日というのが一番楽しさというかワクワク度のピークなのかも。
小学校の時の遠足の前日とか、中学校の時の修学旅行の前日とか。高校くらいになると、流石(さすが)に運動会や修学旅行の前日に同じ程度のワクワク感を味わうことはなかった。
そういえば、旅行の前日にドキドキしたのも小さい時分がピークで、成長していくに従って段々と胸の高鳴りというのが減ってきた。以前は飛行機に乗る前は非常に緊張した。その後に巻き起こるだろう、自分にとっては大きな出来事に対する過剰な期待感の裏返しとしての緊張。

名古屋大学医学部第一内科の林博史さんが興味深い説を提唱している。

哺乳類の寿命というのは心拍数に反比例するのだという。人間の場合、一生の間に心臓がドキンドキンと脈打つ数、心拍の数はおよそ15億だとされている。人間の場合としたが、生きている間に心臓が脈打つ回数というのはネズミからサル、犬、クジラに至るまで大体同じなのだという。15億という数字だから、15億1000回と15億5000回というような4000回の違いというのも擦(か)れてしまう。そういうことで消え去ってしまう違いというのを考えたとしても、哺乳類ならほぼ同じ心拍数だというのことには自然の不思議さを感じてしまう。ネズミが1億回の心拍で人間が10億回の心拍を一生の内に刻むのだと説明されても、多分、違和感を覚えることはないだろう。

ここからが肝心。
寿命と心拍数の関係は次のようになるというのだ。

寿命(分) = 一生の心拍数 ÷ 1分当りの心拍数

一生の心拍数は、ドキドキしている場合は20億前後。だから、ざっくりとみて、15億から23億くらい。成人の安静時の正常な心拍数は、通常毎分60回から100回。一生の心拍数が20億回で、1分当りの心拍数が60回とすると、

2,000,000,000 ÷ 60 = 33,333,333.3分

分で表示されてもピンとこないので年に直してみる。

33,333,333.3分 ÷ ( 60 × 24 × 365 ) = 63.4年

なるほど。
でも、人の寿命というのは、その人の接する環境に大きく影響されるのではないのか。そういう声も聞こえてきそう。例えば、半世紀前の人と現在の人の寿命が異なっているのは心拍数に違いが出たからということが原因ではなかろうと。

しかし、どうだろう。現在の刺激の溢れている世界と、半世紀前の刺激が今ほどではなかった時代とでは、同じ出来事や同じモノに出くわした時の驚き具合がかなり違ったのではないだろうか。
半世紀前というから分かり難い。子供と時と大人になってからの、旅行前日のドキドキ度を思い起こして比較してみるとよい。

すると、心拍数と寿命の間には反比例の関係があるというのは、一生のドキドキ度一定の法則と言い換えることも出来るのではないか!

うん?

心拍数をドキドキ度とすると、その心拍数は一生の間で一定になるのだから、結局は同じことを別の言い方でしただけ?

人生には誰にでも3度のチャンスがあると言われる場合がある。同じように、ドキドキ度あるいはドキドキ回数は誰でも同じである。つまり、人生の前半でドキドキし過ぎてしまった場合は後半はそれほどドキドキしないとか。そんなことは言えないだろうか。
また、体が大きくなった時のドキドキ度と心拍数の関係と小さい時での関係は違うのではないか。
まだ、ゴールデンウィーク前だというのに、すっかりお休みモードに入ってしまって、要らぬ妄想を巡らせている。


<<一言主>>
○短期記憶 [名詞]たんき_きおく / 一時的に情報を脳に保持すること。

○マジックナンバー [名詞]短期記憶で一度に保持することが出来る数字の羅列のこと。7±2個とされる。

○短期記憶の限界 短期記憶の保持時間は15秒から30秒とされる。

○友愛数 [名詞]ゆうあい_すう / 2つの数の約数の和がお互いの数自身となるような数の組み合わせのこと。220と284は、220が 1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110 を約数とし和が284となる。284は、1、2、4、71、142 を約数として持っていて、その和は220となる。

○数多 [副詞]あまた / 許多とも書く。数が多いこと。昔は少し余る程度の数量を表し、動詞の「余る」「余す」の「あま」と語源を同じにする。転じて、数え切れないほどという意味を持つようになった。

○余る [動ラ五(四)]あま_る / [1]必要以上にあること。「夏場を除くと電気は余る」[2]限度を超え、黙ってやり過ごすことができないこと。「目に余る言動」[3]基準を上回ること。「まだまだカラスは目に余るね。」

○嘉瑞 [名詞]かずい / 幸先の目出度い徴候。「頻降嘉瑞」晁端礼、『黄河清』。

○井上嘉瑞 [固有名詞]いのうえ_よしみつ(1902-56) / 欧文印刷研究家。日本郵船勤務時代にヨーロッパ各地を訪問し数々の活字の収集を行った。後、嘉瑞工房を設立。

○二本松嘉瑞 [固有名詞]にほんまつ_かずい / 松竹大船の『宇宙大怪獣ギララ』、『昆虫大戦争』を撮影した監督。

水曜日, 4月 27, 2005

遠いところは最先端 

 日本の南端、父島列島、母島列島、聟島列島、そして硫黄列島を合わせて小笠原という。東京都に属しているが、東京からは南南東へおよそ1,000キロ。
小笠原に人が定住したのはそれほど昔のことではないとされている。加えて、最初に定住したのは日本人ではなく、欧米人とハワイの人々。江戸時代の1830(天保元)年のことであり、定住したのは総勢約20名。
島々を発見したのは、上州館林城主として徳川家康に仕えた小笠原貞頼[参照](1593[文禄2]年)。大阪からの航海の途上で発見したという。残念ながら小笠原貞頼の家系は後に断絶したとされる。時代は下って徳川吉宗の時代に、断絶してしまった小笠原家の旧家臣が、かつての主君貞頼の子孫を探し、彼を立てて小笠原への渡航を許可される。
ところが、彼らは無残にも海の藻屑と消えてしまう。
このような経緯があって、日本人が小笠原に定住したのは、欧米系の人々の定住から32年を経た1862(文久2)年のこと。八丈島からの移住だった。
欧米系住民が日本に組み入れられることを了承したのは1875(明治8)年。その翌年には、明治政府は小笠原が日本の正式な領土であることを宣言するとともに、幕末の混乱期に引き上げ、日本人が居なくなっていた小笠原に再び日本人移民37名を送った。
最初に定住したのが欧米系の人々であるということも、欧米系の人々と日本人がかなりの初期から一緒に住んでいたということにも驚かされる。
まだまた、驚くことがある。
いつか小笠原の地を踏んでみたいと考えているが、その動機の大きな一つとなっていることでもある。
小笠原では英語と日本語の混合した言葉が日常で用いられているという。考えてみれば当たり前なのだが、日本人は日本語のみを話すという固定概念に知らぬ間に縛られてしまっている自分にとっては新鮮な驚き。小笠原の言葉に関する研究に関しては、「小笠原文化に関する研究」が詳しい。小笠原方言と呼んでよいか、それとも、世界各地にある混成言語ピジン・クレオールと同列に位置するものではないのかとも勝手に思いを馳せてしまう。
現在の国際言語は間違いなく英語。そのために、英語を早い時期から教育すべきだという議論を良く耳にする。その一方で、母国語である日本語をきちんと話せないようでは真の国際人ではないという主張もある。更に進めて、日本語を国際的に通用するような努力を少しはすべきではないかという意見がちらほらとあるのも確か。
何事も中庸を以(も)って良しとする日本であるから、日本語をうんと簡略化して日本人以外の人々にも話し易いようにしたピジン・日本語(簡略版日本語)としての役割と日本人にとっての英語入門の機能を小笠原の言葉は秘めているのではないだろうか。
多くの単語を双方で必死に暗記することなく、気軽に、日本語と英語とでコミュニケーションを図ることが出来るならば、世界はうんと広がる。日本人は簡略英語で、英語の分かる外国人は簡略日本語でそれぞれ話す。こうすると、それぞれストレスが少なくて済むような気がする。
九州の五島列島出身の知人によれば、五島列島の古い言葉には半島の単語と考えられるものが残っていたという。もしかすると、対馬とか壱岐、五島列島など昔から朝鮮半島と交流の深かった場所では、現在に至るまでの小笠原と同じような混合された言葉が話されていたのではないだろうか。
そもそも、琉球方言やアイヌ語以外とは明確な繋がりを見出せていない日本語自体も、東西南北様々な言葉が混ざり合って出来たような気がしないこともない。

<<一言主>>
20年も経てば辞書にもなるかもねの一言主。
○風味 [名詞]ふうみ / [1]味わい。主として食べ物に対して使う。また、言外に美味しいという意味合いを含んでいることが多い。[2]風情

○風情 [名詞]ふぜい / おもむきがあること。
「桜も満開となり、春爛漫の風情である」、「それはそれでなかなかの風情ですよ」

○趣き [名詞]おもむ_き / [1]様子 [2]味わい、風味。趣きは対象となるモノから直接に発せられるのではなく周囲の空気から発せられる。 [3]気配 [4]事情。この事情は相手の周辺の気配で知るというところから。

○味覚 [名詞]大きく分類すると甘い、辛い、酸っぱい、苦いの4種類。

○辛い [形]から_い / 塩を舐めた時の感覚。主として、主にナトリウムイオンによって引き起こされ、舌の前側部で感じる。

○酸っぱい [形]すっぱ_い / レモンを口にしたときに感じる感覚。水素イオン濃度にによって舌の側部で感じる。

○甘い [形]あま_い / 砂糖などを口にしたときに感じる感覚。舌の先端部で感じる。

○苦い [形]にが_い / ニコチン、カフェインなどアルカロイドや窒素を含む有機物等によって起こる感覚で舌の奥で感じる。

火曜日, 4月 26, 2005

最後の「u]の音が気になる 

 こんなことを気にするのは自分だけかもしれない。文章を書いていると語尾がとても気になる。
書き終わった後で書いた文章の語尾だけ見ると「です」のオンパレード。こうなると、口に出して読上げた時に滑らかではないような気がする。
気になり始めたのは、おそらく、高校の時に古文の授業を受けてからだと思う。必ずということはないけれど、古文の場合、いろいろな語尾が使われている。明治時代の文章もしかり。更に言うと、現代の作家の文章もしかり。
ところが、自分が文章を書くと、無闇矢鱈に「です」が多くなる。古文の授業で自分の文章の稚拙さに気付いたというところだろう。
何を隠そう、まぁ、隠すまでもないが、大学に入る頃までは小説家になりたいと考えていた。拙い短編もノートに書きなぐっていた記憶がある。幸いにも、ノートは残っていないために、読み返すことで赤面することもない。
書かなくなったのは、自分の文章が滑らかではないという思いが深まったからに他ならない。
そういう次第で、「です」が気になる。
この「です」、辞書的に整理すると、

○です [助動詞]名詞などの後ろに付いて、丁寧な断定を表す。「だ」「である」の丁寧語。

ということになる。
問題は、この「です」が今のような使われ方をし始めたのは、どうやら、明治時代に入ってかららしいということ。
今のようなというのは、今のように多用されるようになったのは、という意味。
もちろん、それ以前にも使われていなかった訳ではない。意外に歴史がある。
例えば、鎌倉時代に後深草院二条(1258[正嘉2]-1306[徳治元])が書いた日記文学『とはずがたり』の中に次のようなくだりがある。

ことさら物も申さで候ひしかば、「身一代ならず子孫までと、深く八幡宮に誓ひ申して候ふなる」と御所に仰せられしかば

意味は、とりたてて何も申し上げないでいたら、院が「自分一代だけではなくて、子孫に至るまで琵琶は止めると深く八幡宮に誓ったそうですから」と仰せられる。

この中で、「で候」という部分。この部分が、後の「です」になったとされている。
一つの説ではある。
丁度、「?です」の「で」が省略されて「?す」という具合に、しばしば体育会系の人々の間で用いられるのと同じということなのかもしれない。
「?です」が省略された「?す」が今の時代ではある種特殊な限られた範囲で使われるのと同じことが「?です」でもあったようである。

江戸時代では遊郭などで、明治に入って一部の人だけではなく、普通に使われるようになったらしい。
もとより、様々な説があるわけで一定しない。

「ら」抜き言葉が、実は日本語の変遷の大きな流れを受けているというようなことと合わせて考えると、かつては遊郭などで用いられてきた「です」を昼間から使っている自分は「ら」抜き言葉がどうと言えなくなってしまう。

言葉というものは奥が深い。

<<一言主>>
○暇 [名詞]ひま / 閑とも。他人に拘束されない時間。または、自分自身が決めた取り決めに拘束されない時間。

○瞽女 [名詞]ごぜ / 静御前などというように用いられる「御前」が訛ったものという。室町時代に盲目の女性の鼓打ち芸人を瞽女と呼んだのが始まり。戦前までは新潟に多く見られ、越後瞽女と言われ三味線に合わせて唄った。2005年4月25日に105歳で亡くなった小林ハルさんは最後の越後瞽女とされている。

○が [古語/名詞]坂のような傾斜した地形。

○こ [古語/名詞]狭まった地。あるいは小川の河口。

○空閑 [固有名詞]中国の漢帝国の王室一族である劉氏の流れを汲むと伝える肥前の氏族。より直接的には肥前武田氏の流れという。古賀に同じか。

○休暇 [名詞]会社などの休み。または、会社としては営業しているが、従業員が会社の上司や同僚の許可を得て休むこと。日本で最初の週休2日制は1962(昭和37)年のキヤノンで導入された。

○制度 [名詞]せいど / 大小の社会の構造を維持するために作られた仕組み。強制力のあるものと任意的であり緩やかなものがある。
また、明示的なものと暗黙のものとがある。いづれにしても、所属員(メンバー)が多数の同意を得ることなく、これを破ったり無視する行動に出ると、明示的あるいは暗黙の制裁が加えられる。

○回転運転 [名詞]かいてん_うんてん / JR西日本で定められている、ダイヤに遅れが出た場合に、「許された速度の範囲内で遅れの回復に努めること」を意味する車両運転作業要領。

○取り戻す [動サ五(四)]とりもど_す / 一度は失ったものを再び自分の手元に置くこと。あるいは一度は失ってしまった事象の埋め合わせをすること。
「いつもより速度が出ている感じがした。遅れを取り戻そうとしたのではないか」2005年4月25日に発生したJR西日本福知山線脱線事故(26日時点死者73名)の事故に関する車掌の言葉。
○「肥薩線列車退行事故」 1945年8月22日に肥薩線吉松・真幸間のトンネル内で勾配を登りきれなくなった電車が乗客の窒息を避けるために後退。下車していた乗客を次々に撥ねる。死者49名。

○「八高線列車正面衝突事故」 1945年8月24日に八高線の小宮・拝島間の多摩川橋梁上で下り列車と上り列車正面衝突。死者は104とも105名とも言われ凄惨を極めた。2001年、多摩川から当時の事故車両の車輪が見つかった。
○「中央線笹子駅激突事故」 1945年9月6日、中央線笹子駅で電車が暴走。車両止激突。死者60人。
○「八高線列車脱線転覆事故」 1947年2月25日、八高線東飯能・高麗川間で八王子発の下り普通列車が脱線。死者184名。
○「近鉄奈良線花園駅列車追突事故」 1948年3月31日、死者49名。
○「桜木町事故」 1951年4月24日、横浜・桜木町間で桜木町行列車火災により死者106名。
○「常磐線三河島駅二重衝突事故」 1962年5月3日、常磐線三河島駅近くで脱線、衝突により160人犠牲。
○「横須賀線鶴見事故」 1963年11月9日、脱線していた貨車に横須賀線の列車が上下方向から衝突。死者161名。
○「北陸線北陸トンネル列車火災事故」 1972年11月6日、北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行き急行列車「きたぐに」の食堂車から延焼。死者30名。
○「信楽高原鉄道事故」 1991年5月14日、JR列車と信楽高原鉄道車両が正面衝突。死者42名。

月曜日, 4月 25, 2005

猫河童 

 天候不順というのだろうか。それとも、春の天気は気まぐれなのだから不順というのは当て嵌(は)まらないのか。
土曜日、日曜日と暑いくらいだったのに、今日は一転して少し肌寒い。思えば、昨晩から少し冷えていた。
うちの猫は、こういう変化に敏感。その他のところは餌に関係するところは、それなりに研ぎ澄まされているが、後はセンサーでも付けてあげようかと思うほど。
「動く」のは早朝、まだ朝日が昇るか昇らないかの頃と、夜、人間が寝ようか寝まいかという時分。まるで1日寝過ごした分を取り返すかのように活発に動き回る。
時にはどうかしたのではないかと心配になるほど。
何せ人間の年に換算すると、御年90歳前後という高齢。頭の毛も薄くなってきている。猫の頭の毛が薄くなることなど、猫を飼うまでは思いもしなかった。事実である。
何分、頭と額の区別が定かではないため、めっきり薄くなっているのが、果たして頭なのか額なのかははっきりはしない。一応、メスであるからして、額の毛が薄くなるというのはスッキリ顔になるということだから良さそうなもの。
ここで、想像してみよう。額にまるで毛のない猫を。
他にびっしりと毛がある分だけ変だ。何かの儀式のために、わざわざ剃ったようになってしまう。
それでは額ではなく頭だと良いかというと、これも、そうはいかない。
再び想像してみよう。
河童ではないか。
間違いなく河童だ。猫河童である。
以来、きちんとした名前があるにもかかわらず、ネコカッパとかと呼ばれている。呼ばれてニャーと返事をするから、当の本人もカッパという名を案外と気に入っているよう。
ニャーとかミャーとか言いながら、薄い頭を戸やら窓やらゴツゴツした塀にゴチンゴチンと擦り付けたりする。
そんなことをやると、抜けるから止めろと言っても、平気の平左でゴチンゴチン。
その平左が昨晩からクルリとアルマジロのように丸まって蒲団の中やら、バスタオルの中やら、脱ぎ捨てたジーパンの中で冬眠を決め込んでいる。
ゴールデンウィークには、ダラリと伸びて日向ぼっこをすることが出来るだろうか。

<<一言主>>
風の名前というのはいろいろあるもの。まだまだある。
今日は辞書「風」に
○風 [名詞]かぜ / 空気の流れのこと。

○風邪 [名詞]かぜ / 感冒。風邪を引く。

○風入れ [名詞]かぜいれ / 湿気を飛ばすために風を通すこと。

○東風 [名詞]こち / 東から吹く風。
「 阿尾の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風をいたみかも 」万葉集4093

○あいの風 [名詞]あい_の_かぜ / 越中地方で吹く北東の風。

○南風 [名詞]はえ / 山陰地方および九州の西側で吹く南風。

○北風 [名詞]ならい / 東日本の太平洋側で吹く冬の季節風。

○北風 [名詞]たま / 東北の日本海側で吹く北風。

○山背 [名詞]やませ / 三陸地方を中心として吹く北東風。

○やまじ風 [名詞]やまじ_かぜ / 愛媛県東部の川之江市、伊予三島市、土居町を含む法皇山脈の北側山麓一帯に発生する南寄りの強風。日本三大悪風の一つ。

○颪 [名詞]おろし / 山から吹き下りる風のこと。

○六甲颪 [名詞]ろっこう_おろし / 六甲山脈から吹き下りる風。

○赤城颪 [名詞]あかぎ_おろし / 赤城山脈から吹き下りる風。

○比良颪 [名詞]ひら_おろし / 比良八講荒れとも呼ばれる比良山脈から琵琶湖へと向って吹き下りる風。

○からっ風 [名詞]からっ_かぜ / 冬に北関東に吹く北風。
かかぁ天下にからっ風。

○日本の三大悪風 [複合]にほん_の_さんだい_あくふう / 清川だし、広戸風、やまじ風のこと。

○複合語 [名詞]ふくごう_ご / 2つ以上の単語が一緒になって、1つの単語となっているもの。

○不具合 [名詞/形容動詞]ふぐあい / 具合あるいは調子が悪いこと。または、そのために機能すべきものが機能しない状態。
「23日午前に配信したパターン・ファイルに不具合が存在した」トレンドマイクロ社日本法人代表の大三川彰彦執行役員が大規模障害の記者会見で発言。

○追い風 [名詞]おい_かぜ / 後ろから押すように吹いてくる風。転じて、目に見えない支持あるいは支援のこと。
「選挙結果が郵政民営化問題が正念場を迎えた小泉政権にとって追い風となるのは確実だ。」福岡2区で山崎拓氏が宮城2区で秋葉賢也氏が衆議院補選を制したことを報じる25日付け毎日新聞。

○清川だし [名詞]きよかわ_だし / 奥羽山脈から庄内平野に吹く颪。日本三大悪風の一つ。

○広戸風 [名詞]ひろと_かぜ / 岡山県北東部の鳥取県境にある那岐山( 1240 m )から南側の奈義町、勝北町などに吹く風。

日曜日, 4月 24, 2005

創造主への路 

 「元素は、はるか昔にこの大宇宙に登場し、約20億年以上前小さな地球を創造した。自然界のあらゆる物質をつくっている元素の正体は、それから長いあいだつきとめられることがなかった。およそ200万年前、人間はその正体をかすかにつかみ、利用することを覚え、今日の文明への強力な第一歩を築いた。」(大沼正則、『元素の事典』)
ここに紹介されているような昔は、宇宙の時間の尺度からすると一瞬前の出来事でしかない。
その一瞬の間のそのまた僅かな期間に、地球を創造した、自然界のあらゆるものをつくった元素の謎を人類は解き明かしていった。それだけではなく、多くの元素を自ら創り出してきた。
その意味で人類は創造主となった。
原子番号92のウランより重たい元素は自然界には存在していない、人工的な方法によって作り出されたもの。
もっとも、物質の最小単位が元素ではないことが分かってきたことで、人類が成し遂げたことは、本当の創造主が行ったことのごく一部であるということも明らかになってきている。元素が最小単位ではないということ、つまり原子が陽子と中性子、そして陽子や中性子の1/1840程度の重さしか持ち合わせていない電子からなっているということを知ったからこそ、その逆を辿って新しい元素である原子を「発見」することが出来たと言えるだろう。
そのままでは自然界には存在し得ないものを見つけ出すことを発見と呼んでよいものかに関しては個人的には多少の違和感を覚える。それは、発見といったレベルではなく、もはや創造という水準なのではないのかと。
ともあれ、自然に存在している元素の中では最も重い横綱級のウランより重い元素は超ウラン元素と呼ばれる。その中にあっても、1952年のマーシャル諸島での水爆実験によって発見された原子番号100のファルミニウム( Fm )よりも原子番号の大きい、超フェルミウム元素と言われる重たい元素は、原子番号101のメンデレビウム( Md )を除いて、1958年から1974年までの間に米国とソ連の重イオン加速器によって10個創り出されている。

原子番号102のノーベリウム( Nobelium ,No ):ドブナ(ソ連)
原子番号103のローレンシウム( Lawrencium ,Lr ):ドブナ(ソ連)
原子番号104のラザフォージウム( Rutherfordium ,Rf ):ドブナ(ソ連)
原子番号105番のドブニウム( Dubnium ,Db ):バークレイ(米)、ドブナ(ソ連)
原子番号106番のシーボルギウム( Seaborgium , Sg ):バークレイ(米)

がそう。
シーボルギウム(Sg)よりも更に重たい元素は創りだされても寿命が極端に短い。あっと言う間にこの世から消えてなくなってしまう。
そこで、それまでの技術とは異なる手法によって、ドイツのダルムシュタット(Darmstadt)の重イオン研究所(Gesellschaft fur Schwer Ionen Forschung)で「発見」された。原子番号112番まで「発見」されているが名前が付いているのは、

原子番号107番のボーリウム( Bohrium , Bh )
原子番号108番のハッシウム( Hassium , Hs )
原子番号109番のマイトネリウム( Meitnerium , Mt )

そして、現在の所、最も重い元素を「発見」したのが、日本の理化学研究所の森田浩介先任研究員らのチーム。日本の快挙。伝えられるところによると、森田氏は「涙が出るほど嬉しい」と語ったとされる。その意味するところは、今までの超ウラン元素の発見史を見れば分かるだろう。
原子番号113番の元素に果たしてどういう名前が付けられるのか森田さんは今頃、語呂の良い名前を探して命名事典を紐解いているやも。

<<一言主>>
○失語症の人でも歌を歌うことが出来る

○手長猿のある種類はパート毎に歌う

○一番進化した手長猿は歌の一部分を切り出して歌える

○幼児は気に入った言葉のフレーズを使うことから始める。単語から覚えるのではない

○モンタノス派(Montanism)は2世紀中頃に出現した聖霊信仰と純粋主義を唱えるキリスト教異端派。

○小アジアで2世紀に流行したキリスト教モンタノス派はモンタノス(Montanos)によって始められた。

○アンフェタミンという薬剤は体力倍増と痛みを感じなくなる薬品。

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