火曜日, 2月 03, 2004

広告図像の伝説―フクスケもカルピスも名作! 荒俣 宏 (著) 平凡社ライブラリー (291) 

カゴメのカゴメが篭目のことで、その篭目というのが邪気を封じる呪文の意味合いを持っているということも確か氏の著作で知ったのだと思う。
本書では、様々な図像を取り上げている。その中でカゴメの商標の由来が紹介されている。てっきり、カゴメ=篭目と考えていたが、実はそうではないという。カゴメのマーク、このマークを店頭にある商品のラベルの上で目にしたことは残念ながら無い。それは置いておいて、カゴメのマークの由来、つまりはこれはカゴメという社名の由来でもあるわけであるけれども、それは何と星のマークなのだという。
さらに、日本では現在言われるところの星のマーク、★では星を表現することは無かったという。★で星を意味するようになったのは、どうやら陸軍がマークとしてヨーロッパから輸入したことが始まりらしい。そして、その陸軍の調理場で働いていたのがカゴメの創業者。陸軍で覚えた調理技術を商売に活かそうというところからカゴメの商売が始まり、それ故に★のマークとなったとのこと。但し、それではそのままであり、それは、ちと困るとの陸軍の思惑から★が★ではなくて中の色を抜いた篭目になったとのこと。
あぁ、そうなんだ、と。
そういう話が沢山詰まっている本。
ところで、北海道の象徴も五芒星に似た図形。こちらは五稜郭に由来する。
北海道の人なら言わずもがな。
きちんと、その辺りも取り上げてあるところが心憎い。


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月曜日, 2月 02, 2004

「長崎の鐘」殺人事件 吉村 達也 (著) 

歴史物と言っても良い内容。もちろん、ミステリーというスパイスも効いている。
しかし、やはり歴史を頭に冠して歴史ミステリーと形容したくなる。
長崎が日本におけるキリスト教の聖地であるということは知っていた。知ってはいたけれども、そのその知識は表層的なものでしかなく、その知識の薄さを痛感した。
明治維新後もキリスト教徒への弾圧が継続され四番崩れと呼ばれる大弾圧が行われたという事実は人間の持つ残酷さを炙り出す。
さらに、いわゆる「隠れキリシタン」には、信教の自由が一様保証された後に正統なカトリックへと復帰した人々と数百年に及ぶ独自の土着的信仰形式を頑なに守り続けた人々と2通りの人々がいる(た)という事実。加えて、後者の土着的信仰形式を守る人々が周囲からの偏見に悩まされたということも事件の重要な鍵となっている。
ミステリーとして読むということも出来るが、著者が冒頭に大分を割いて長崎の暗部とも言える歴史背景を解説していることを重く見るべきだと思う。
次に長崎の地に足を踏み入れる時は、こうした事実を胸に長崎の街を見ようと考えている。

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ちなみに、「浦上四番崩れ」の経緯を本書などから纏めると概要以下のようになる。
永禄10(1567)年にキリスト教が長崎に伝わると2年後にはトードス・オス・サントス教会(現春徳寺)が建立される。その後、領主であった大村氏によって長崎はイエズス会へ寄進されるに及んで長崎は名実ともに日本におけるキリスト教の中心地となる。しかし、この状況は長く続かず、キリスト教に対して一定の理解を示した織田信長の後継者である豊臣秀吉は信長の方針を引き継がず、キリスト教の禁止令を出す。慶長元(1597)年には26人が大浦で処刑され、これ以降、日本のキリスト教徒は弾圧を潜り抜けて信仰を守ることを余儀なくされた。その間、天草の乱も起こり、元和の大殉教という危難もあった。また、弾圧は九州本島に留まらなかった。五島列島へは領主五島氏が領地開墾のために移民を要請したことで、多くのキリスト教徒が移住することになる。但し、この五島氏もキリスト教徒を手厚く保護したわけではなく、五島列島でも徳川幕府の意向を受けて度重なる弾圧が行われたという。そうした中で、キリスト教徒達は表面上は幕府に従い、浄土真宗に帰依しているように装いながらも、キリスト教を信仰し続けた。
その間に、宗教的指導者である神父や教会を持つことの出来なかった日本のキリスト教は日本的な変容を遂げていくということを余儀なくされていく。これが、いわゆる「隠れキリシタン」と呼ばれる信仰形態を指す。
このような弾圧の苦しい歴史の後、幕末に明かりが漸く差し込む。開国を迫る諸外国の圧力に負けて、諸外国による日本におけるキリスト教の限定的布教を認めたのである。この結果として、長崎に大浦天主堂が建設される。その大浦天主堂でプチジャン神父に対して浦上の「隠れキリシタン」が信仰を告白し「信徒発見」がなされた。時は慶応元(1865)年。こうした動きに続いて、「隠れキリシタン」は檀家として附属してきた聖徳寺と縁を切りキリスト教徒として晴れて生きることを目指す。ここに、「隠れキリシタン」は「隠れ」ではなくキリスト教徒として復活したのである。しかし、こうした動きに対して、歴史的教訓から「隠れる」ことを止めないキリスト教徒も少なからず存在した。その懸念は当り、幕府は2年後には大弾圧を開始する。時は幕末も幕末であり、明治維新の最中。そして、徳川幕府が倒された後もキリスト教徒の弾圧は明治新政府に引き継がれて行く。浦上のキリスト教住民に集団で強制連行し非人道的な扱いを行ったという。これに対して欧米列強の猛烈な抗議によって、弾圧は途上で終焉し住民の一部は浦上に帰ることが出来た。これが世に言う浦上四番崩れである。
この弾圧を目の当たりにした、その他の「隠れキリシタン」達が、政府を信用せず「隠れ」続ける道を選択したことは言うまでもないだろう。また、そうした人々の信仰形態が長い月日の中であまりにも変容していたために、カトリック側にも受け入れに対して躊躇があったことが不幸を加速させたということは否めない。
本書でも強調されているように、「隠れキリシタン」への言われ無き差別は戦後に至ってもしばらくは続いたという。

DNA 

二重らせん発見50周年を記念し、発見者であるジェームス・ワトソン本人がDNAに関して綴った本。DNAという言葉を見て、理系アレルギーを起こす必要は全くない。内容は
遺伝子ビジネスへの懸念から犯罪捜査への応用まで多岐にわたり、読み物としてページを捲っていくことが出来る。
特に、遺伝学の歴史の叙述は素人にも分かり易い。
本書の中で、著者が生物学に関心を持ったきっかけとして、物理学者のシレジンガーが著した「生命とは何か」という本を挙げていた。この本には思い出がある。高校生の時に初めて読んだのだが、深く理解するということは出来なかったとしても、それまで学校の教科区分に従って物理と化学と生物学とは別個のものだと頭から決め付けていた私にとってはハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。
物理と化学はなんとなく根底で同じ原理で説明出来るのだろうとは漠として感じていた。地学もしかり。地学などは地球物理学と重なるところもある。しかし、生物学は、そうした純粋科学的な体系とは幾分か異なる体系を持っているものではないかという先入観を持ってしまっていた。ところが、シュレジンガーは、生物というのは周囲に対してエントロピーを放出することによって非平衡状態を維持しているということを指摘し、そもそも生命は無数の原子からなる一つの系であると言い切っている。ここで、まずガツンとやられた。さらに、そうした系が熱的な揺らぎによって系としての形を保っているというのである。そして、「生命とは何か」を知る鍵は遺伝子にあるとシュレジンガーは指摘する。
この一言が如何に大きかったのかはワトソンによる本書を読むと良くわかる。


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J.D.ワトソン (著), 青木 薫

「ちなみに、DNAというのは化学的にはリン酸、デオキシリボースと呼ばれる糖、それから塩基からなるヌクレオチドっていうものがいくつもつながって出来ているのね。
で、塩基っていうのが、良く聞くアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類のモノからなっている。ほら、これって呪文のように出てくるでしょ。これを唱えていると濃い口醤油じゃなくて、恋も叶う。なんてことはないけど。
それから、こっちはあまり馴染みがないかもしれないけど、ヌクレオチドには、ピリミジンという塩基を含むものとプリンという塩基を含むものがあるわ」

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