金曜日, 5月 07, 2004

お元気ですか、あっちゃん 

お元気ですか

変わりはないですか

幾度繰り返し何度浮かべたか

あれから月日は重なり

どれほど重なり

重なり過ぎてかさ張るようになって

重なる前のありのままを忘れそうになるけれど

決して記憶から離れることのない

忘れることの許されない

あの、そのままだった頃

お元気ですか こんにちは

木曜日, 5月 06, 2004

モア街の一期一会 

お腹がギュルリと鳴るなりモア街の

メイクのあの娘(こ)は愛想でユルリ

キュートなお腹はそれでも鳴り止まず

お昼を告げる鐘のよに

一度あることは二度もある

キュートなあの娘(こ)の笑顔でユルリ

ユルリユルリで鐘は鳴る

初めて会ったあの娘(こ)と交わす笑顔は一期一会

昨日の夜にはない一会

今日の朝には思わぬ一期(いちご)

水曜日, 5月 05, 2004

黄泉 

朝からずっと同じCDを聞いて口ずさんでいる。
新海道は硬いように見えて、どうしてどうして中々に最近の曲を聴いていたりする。普段、結構に小難しいことを言っている分だけギャップが凄まじい。そこのところがまた愛嬌というもの。
ちなみに、お世辞にも唄は上手いとは言えない。上手いとは言えないというのはかなり控えめで、拙いというのが実態。音痴かと問われれば、二つ返事で音痴だ。
彼の現在の目下のお気に入りは柴咲コウ。
中でも、「浮雲」(松井五郎作詞,Jin Nakamura作曲)の「哀傷 愛 輪廻」というフレーズが気に入っている。彼曰く、若いのに意外や意外に古風な歌詞があるところに惹かれるという。ギャップがある者はギャップのあるものを好むといったところなのだろうか。
「梶尾真治原作、塩田明彦監督の『黄泉がえり』でRUIの歌声に魅了されたけど、阿蘇で3週間だけ死者がしかも阿蘇地域だけで甦るというストーリーとRUIの歌ひいてはRUIを演じた柴咲コウの歌う歌のフレーズが気になってね。
"哀傷 愛 輪廻"なんてフレーズ良いと思わない?
愛は輪廻なんだね。うんうん、分かるような気がするねぇ」
「『黄泉がえり』の黄泉というのは夜見のことだとされているわね。
文字通り死者の世界。黄泉国(よもつくに)は黄泉神が支配していたのだけれども、『古事記』によると伊邪那岐の妻である伊邪那美が黄泉国に下った後に伊邪那美が黄泉国を支配したという」
「夜見といったけど、菅野雅雄は『其処に於ける復活祈願の呪法=洞窟の中に屍体を安置し、そこに血縁者が一定の日数を数えつつ、或いは一二三・・・と数算みししつつ通って、その生き返りを願った行事の印象を強くして、ヨミノクニ・ヨモツクニの名を留め、一の異郷を形成した。さらに洞窟内の暗さがー或いは復活の呪法が夜間に行われたことをみせるかー夜見の印象を加え、死者の国として<黄泉>と中国の字義を借りて表記するに到った』という説を唱えている。
この考え方によると、ヨミというのは死者復活のための呪文というのかな数ヨミの儀式に由来することになるね」
「そういう考え方が古来の日本にあったとすると、仏教の輪廻の思想が日本人にとって受け入れやすかったというのも頷けるわね。
そうそう、日本に仏教を広めたとされている聖徳太子自身も中国の予州、現在の河南省武津出身の天台宗第二祖の南岳慧思(515-577)の生まれ変わりだって言われている」
「聖徳太子は西暦574年に産まれて622年に亡くなっているでしょ。その時には南岳慧思は生きているわけだから、複写になっちゃうんだけどね。
聖徳太子転生説は鑑真とともに日本に渡ってきた思託が天台宗を広めるために聖徳太子の威厳を利用したんだろうって言われている。その可能性は大きいだろうね」
「聖徳太子は日本人にとっては聖人だからよね。その聖人が天台宗ゆかりの人物の生まれ変わりだということになると、日本人にとっては天台宗というものがグッと身近になる」
「そうだね。聖徳太子はその意味でも仏教を日本に広めたと言えるね」


cover
『蜜』柴咲コウ

cover
黄泉がえり

[参考文献]
「黄泉観念の成立と黄泉行説話の形成」『古事記説話の研究』菅野雅雄(桜楓社)

火曜日, 5月 04, 2004

上司の形而上学 

「形而上学とは、成果主義成果主義と念仏のように繰り返しながらも、結局は根性なんだと言って憚らず、その日の気分に付き合ってくれる部下を仕事の出来ると真剣に思い込んでいる上司の頭の中のように、決して科学的探究や経験的観察によってはとてもとても捉えることの出来ないチョー自然的な物事について、純粋に概念的な思考で考えようというもの。
う〜ん、我ながら良く出来た定義。。。」
「形而上学っていうのはmetaphysicsの訳語で、metaphysicsというのはアリストテレスの言うところの『第一哲学』が、その後のアンドロニコスがアリストテレス著作集の編集過程で自然学(physika)の後(meta)に置かれたのでmetaphysicsってなったのよね。
もっとも、形而上学の始まりはアリストテレスの師匠であるプラトンをもって嚆矢とされている。
日本語の形而上学というのは、井上哲次朗が『易経』繋辞上伝の"形而上者謂之道、形而下者謂之器(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)"っていうところから訳した」
「物事の背後にある形となって現れない本質っていうくらいの意味かな。
一貫性のないその場限りの行動をとる上司の行動をいくら観察しても何も得るところがない。そこで、表に出てくる行動を観察することではなくて、その奥に潜む本質について思考しようよって、まぁそういうところだね」
「でもねぇ、そういう行動におよそ一貫性のない人の行動を一所懸命に考えてみてもしょうがないんじゃないかしらね。
強いて言えば、一貫性がない、そのば限りの思いつきで行動するっていうところが一貫しているだけでしょ。普通は害はないものだけど、人を動かすことの出来るような権限だけを持っている場合はやはり困りものだわね。
そういう人には、ルルドの泉の水でお茶でも飲んだほうが良いんじゃない?」



cover
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形而上学〈上〉 岩波文庫
アリストテレス (著), 出 隆 (翻訳)

※ルルドの泉(Lourdes,マサビエルの窪みに湧く)は1858年に少女ベルナデット・スビルーによって発見された。奇跡の泉と呼ばれ様々な病を癒したという。中でも、ノーベル生理・医学賞を受賞したフランスの医学者アレキシス・カレル博士(Alexis Carrel,1873-1944)が1903年に重症の結核性腹膜炎患者がルルドの泉で回復した事例を医学界で発表したしたことで科学者、聖職者双方に衝撃を与えた。なお、ベルナデット・スビルー(St. Bernadette Soubirous of Lourdes,1858-79)は1933年にローマ法王ピウス11世によって聖女に列せられヌベールのサン・ジルタール修道院の礼拝堂に遺体が安置されている。ガラス張りのいわゆる聖遺匣に安置されており、その姿そのものが奇跡とも言われている。
[参考]ルルドの群集:J.K.ユイスマンス (著), 田辺 保

カセ鳥 

いと面白きもの。
山形県は上山のカセ鳥
顔が出ていないから、コンナことができるのだろう。と思いきや、ばっちり顔が出ています!

着ぐるみを着て、顔が出ていないと結構大胆になれるもの。いやぁ、これは実体験。
友人の結婚式でゴリラの着ぐるみで踊ったことがある。
直前まではネクタイにスーツ姿で畏まって、そぉーと会場を出て変身。
着ぐるみを着ることは数人にしか教えていなかったので、その意味でもハッスル。
これは私の話。

でも、カセ鳥の場合は顔がバッチリ出ているからなぁ。
一人ではなくてみんなでやるから良いのか?

それでも、それでも、もし、自分がやるととあらぬ、しかし乗る気でもある想像を逞しくしてみると....

やっぱり恥ずかしいのではないか?

でも、やってみたいと感じるのは、同じ日本人の血なのか。

解説によると、
『「町内カセ」は旧15日に各村から集まり、「カセ鳥、カセ鳥お祝いだクックックッ」または「カーッカーッ」といって町に現れ、戸毎に小正月祝いの訪問をして歩きました。』

な、な、何なんだぁ。
"カセ鳥" 歌謡なる歌も。
カッカッカーのカッカッカーと。

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