水曜日, 5月 05, 2004

黄泉 

朝からずっと同じCDを聞いて口ずさんでいる。
新海道は硬いように見えて、どうしてどうして中々に最近の曲を聴いていたりする。普段、結構に小難しいことを言っている分だけギャップが凄まじい。そこのところがまた愛嬌というもの。
ちなみに、お世辞にも唄は上手いとは言えない。上手いとは言えないというのはかなり控えめで、拙いというのが実態。音痴かと問われれば、二つ返事で音痴だ。
彼の現在の目下のお気に入りは柴咲コウ。
中でも、「浮雲」(松井五郎作詞,Jin Nakamura作曲)の「哀傷 愛 輪廻」というフレーズが気に入っている。彼曰く、若いのに意外や意外に古風な歌詞があるところに惹かれるという。ギャップがある者はギャップのあるものを好むといったところなのだろうか。
「梶尾真治原作、塩田明彦監督の『黄泉がえり』でRUIの歌声に魅了されたけど、阿蘇で3週間だけ死者がしかも阿蘇地域だけで甦るというストーリーとRUIの歌ひいてはRUIを演じた柴咲コウの歌う歌のフレーズが気になってね。
"哀傷 愛 輪廻"なんてフレーズ良いと思わない?
愛は輪廻なんだね。うんうん、分かるような気がするねぇ」
「『黄泉がえり』の黄泉というのは夜見のことだとされているわね。
文字通り死者の世界。黄泉国(よもつくに)は黄泉神が支配していたのだけれども、『古事記』によると伊邪那岐の妻である伊邪那美が黄泉国に下った後に伊邪那美が黄泉国を支配したという」
「夜見といったけど、菅野雅雄は『其処に於ける復活祈願の呪法=洞窟の中に屍体を安置し、そこに血縁者が一定の日数を数えつつ、或いは一二三・・・と数算みししつつ通って、その生き返りを願った行事の印象を強くして、ヨミノクニ・ヨモツクニの名を留め、一の異郷を形成した。さらに洞窟内の暗さがー或いは復活の呪法が夜間に行われたことをみせるかー夜見の印象を加え、死者の国として<黄泉>と中国の字義を借りて表記するに到った』という説を唱えている。
この考え方によると、ヨミというのは死者復活のための呪文というのかな数ヨミの儀式に由来することになるね」
「そういう考え方が古来の日本にあったとすると、仏教の輪廻の思想が日本人にとって受け入れやすかったというのも頷けるわね。
そうそう、日本に仏教を広めたとされている聖徳太子自身も中国の予州、現在の河南省武津出身の天台宗第二祖の南岳慧思(515-577)の生まれ変わりだって言われている」
「聖徳太子は西暦574年に産まれて622年に亡くなっているでしょ。その時には南岳慧思は生きているわけだから、複写になっちゃうんだけどね。
聖徳太子転生説は鑑真とともに日本に渡ってきた思託が天台宗を広めるために聖徳太子の威厳を利用したんだろうって言われている。その可能性は大きいだろうね」
「聖徳太子は日本人にとっては聖人だからよね。その聖人が天台宗ゆかりの人物の生まれ変わりだということになると、日本人にとっては天台宗というものがグッと身近になる」
「そうだね。聖徳太子はその意味でも仏教を日本に広めたと言えるね」


cover
『蜜』柴咲コウ

cover
黄泉がえり

[参考文献]
「黄泉観念の成立と黄泉行説話の形成」『古事記説話の研究』菅野雅雄(桜楓社)

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