土曜日, 1月 31, 2004

異界の少年 

街道沿いに3本の一際大きな木が立ち並んでいるのが見える。
車で移動していたなら気に留めることもなかったろう。しかし、今日はバスで目的地へと行った帰り。つまり、徒歩なのだ。
そうすると、大きな枝振りの木がこちらを誘っているように感じられてしまう。
まぁ、気の持ちようなのだが。
道沿いにあるので、わざわざ寄るというまでもない。アスファルトの硬い地面を歩くのに疲れた足をしばし休ませる。いや、休ませるほど歩いてはいないし、第一疲れるほどの距離を歩いてきたわけではない。昨日までの寒さが和らいでいたためにむしろ歩くということが楽しいくらいである。土に、自然の大地を踏みしめてみたかったのかもしれない。悲しいことかな、しばらく土に触れていないということに気づいた。
いつ来たのだろうか。木の周りを只管(ひたすら)回り続ける男の子が、そこにいた。
ただただ、回っている。
それも嬉しそうとも悲しそうとも、そういった表情を何一つ浮かべることなく回っている。走るでもなく、だらりと気だるそうに歩くでもなく。
強いて言うなら、スキップとでも言うのだろうか。
まるで何かの儀式を行うように。
辺りに目をやると、この小さな男の子の他には誰もいない。
「何やってるの。僕?」
「僕じゃない」
「それじゃぁ、名前は?」
「おじさんは?」
この子は素直ではないのか。あるいは素直過ぎることのなせることなのか。判断に躊躇する。男の子のペースに嵌るというのも嫌だという、およそ大人らしくない気分に包まれる。
話題を逸らす。
「何やっているの?」
「何やっているの?」
やれやれ。完全にからかわれてしまっている。
「昔はね。もっともっと元気だったんだ」
何の話をしているのだろう。この男の子の家族に誰か体を壊している人でもいるのだろうか。男の子は続ける。
「みんなに元気をあげるほど元気だったんだ」
私という存在は、この男の子には見えるのだろうか。
「誰が元気だったの?」
話しかける私を完全に無視して、今まで会話した時間を取り戻すかのように男の子は再び木の周囲を回り始める。
こうなったら仕方ない。そう思って、木陰に背を向けて道に戻る。アスファルトの道へ。
すれ違いに道から入ってこようとした老婦人が訝しげな視線を投げかける。ひょっとすると、男の子に話しかけていたところを見て不審者と間違えられたのか。
それにしても、と振り返ると、そこに確かにいたはずの男の子はどこにも居なかった。

金曜日, 1月 30, 2004

ガンバレ最後の1.6キロ 

日銀の福井俊彦総裁は30日、衆院財務金融委員会に出席して、デフレ克服の展望について「残り1マイル(のデフレ克服は)非常に厳しい」との認識を示した。
企業は負債の圧縮などに追われており、CPIが上向くにはなお時間がかかるという。
何故、マイルなのか。よもや、デフレに頭を悩ませてマイルマイルで哩でもあるまい。マイルというのは漢字で書くと哩。口プラスの里。
それは兎も角、マイルにはなんと2種類ある。これは以前取り上げたトンの続きのような話。さて、我らが福井総裁が言ったマイルは一体、どのマイルなのか。まず、航海に使われているマイルというのはその地の緯度1度の距離。国際海里(International nautical mile)は1,852メートルという具合に定められている。
もし、福井総裁が海の男ならば当然、この国際海里のことが念頭にあったに違いない。そうすると、残り1マイルというのは残り1,852メートルということになろう。
これではどのくらいなのか良く分からない。分かりやすい例でいこう。富士山の五合目から六合目までおよそ1.6キロメートル。少し足りないけど全く参考にならないという距離ではない。大体、約45分で歩ける距離。
ちょっと待てよ。海里なわけで、そこに富士山を例にとるのは適切ではない。
すると、カイリはカイリでも、もう一つの陸バージョンを考えなくてはいけない。そこで、福井総裁が山登りが趣味だったとしよう。これで良しと。
陸バージョンのマイルは一歩の幅を基本として、その1,000倍で1,609メートル。偶然にも、富士山の五合目から六合目までの距離に等しいと言って良い。
ということは、福井総裁はやはり山男で、福井総裁の言うところのラスト1マイルというのは1,609メートルのことだというのが非常にもっともらしい。
しかし、一体全体、何メートルのうちの1,609メートルなのか、こうの疑問に明確な答えはない。
1,609メートル全速力で走るのは少々シンドイかも。でも、自動車に乗ればあっという間。ここは発言された福井総裁の身になって考えてみよう。福井総裁は黒塗りの自動車の後部座席というのが定番。ということはラスト1マイルというのはあっという間ということを意味している。そのあっという間の距離を行くのが非常に厳しいという。
これは、自動車が壊れたのか、ガス欠なのか、あるいは道が渋滞だと考えることが出来るだろう。ここで、単に厳しいのではなく、非常に厳しいと発言されているということに着目したい。渋滞で1.6キロの道のりを進むことが非常に厳しいとは言わないだろう。ガス欠でも対処のしようがあるというもの。ということは、福井総裁の乗っている黒塗りの自動車は故障しているということになる。それも、非常にということからするとメチャクチャに壊れている可能性を捨てきれない。
確かに、そのような状態ならば車を乗り換える以外はゴールに到達することは困難だろう。

火曜日, 1月 27, 2004

暇つぶしの時代−さよなら競争社会 橘川 幸夫 (著) 

どうして、この本がビジネスの書棚に並ばないのだろう。待てよ、他の書店ではビジネス書と肩を並べているのかもしれない。どれどれと、他の書店にまで足を伸ばす。あては外れた。
しかし、やはりこの本はビジネスの最前線にいる方々に読んで頂きたい。
えっ、そこまで言うなら内容を要約して、何をどうしたら儲けることが出来るのかを教えて、と。残念ながら、そうしたことは、この本には直接的には書いていない。
もう、そうした安直で直接的な思考方法は止めたほうが良いのではないだろうか。愛だってじっくりと育むものだ。時間当りの愛情生産性など測定しようと考える人はいないだろうし、愛情生産性を恋人や連れ合いに向って議論する向きもいないだろう。
この書は大量生産社会の行きつく先、「成熟した工業化社会」のより良いあり方を提示する。
すらっと答えることの出来るビジネスマンは何人いますか?
遊びが仕事に、仕事が遊びになるなんてフレーズ、最高だと思う。こうしたフレーズがデファクトになったとしたら、それこそ、著者はそういう時代になるのだとしているのだけれども、そうなったら今までの発想から抜けきることの出来ないビジネスマンはどうするのでしょう。
今から備えておくためにも、本書のサラッとしたビジョンの風に当っておく必要があうのではないだろうか。


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