三本榎_東京都武蔵村山市
 三本榎は東から奥住榎、加藤榎、乙幡榎と現在の新青梅街道に沿って並んでいる。これらの榎は丁度、引又街道、これは市街道とも呼ばれていたのだが、その街道に北側に少し逸れたところにある。乙幡榎の根元にある庚申塔は、三本榎が引又街道を通って江戸市中と青梅を行き来する人々の足を休める場所であったということを示している。この庚申塔は寛政11(1799)年の造立という。
さて、何故一本の榎ではなくて三本なのか。ここに一つの伝承がある。
この伝承は村山の地に住む人間ならば誰しも知っている話である。
遠い昔、村山郷の3人の若者が腕を競うために、赤堀山から矢を放ち、その矢が落ちたところに榎が植えられたというのだ。この話は口承伝説であるために幾つかの異なるバージョンが存在する。矢そのものが榎で出来ており、地面に突き刺さった矢がそのまま根を降ろしたというもの。
ともあれ、大正時代に植え替えられたという水道局の敷地内にある奥住榎を除いて、加藤榎と乙幡榎は樹齢が200年を越えるという。冠せられている名も村山郷の江戸時代の有力一族の名であることからすると、3人の若者の矢の伝説は当時の郷内の有力者達が郷内を行き交う人々のために榎を植えたことを反映したものと考えることも出来るだろう。
かつては、この榎の新芽の出具合から、その年の桑相場の行方を占ったともいう。その見事な枝振りも、自動車の排ガスの影響なのか、齢を重ねたためなのか乙幡榎に見るだけとなってしまっている。
また、乙幡榎の庚申塔だけではなく、加藤榎の根元にも天保11(1840)年造立の馬頭観音があったとされるが、こちらは昭和36年頃に失われてしまったのだという。


奥住榎

加藤榎

乙幡榎
2004.1.31訪問