水曜日, 1月 14, 2004

猫の本―藤田嗣治画文集 藤田 嗣治 (著) 

猫好きにはたまらない。
たまらないの3乗。
ページをめくる毎に、ネコ、ねこ、猫。全て猫。エッセイとか高階秀爾先生による「永遠の友を描ききる技」という一文もあるのだけれど。主役は猫。
猫の写真集と何が違うって?
それが違う。
どこが違うか。猫が藤田画伯の愛情の篭った眼を通して、その可愛らしさを倍増させ、さらにその溢れんばかりの可愛さが溢れんばかりの才能でもって描写されているのだ。
これを猫の可愛らしさ増幅効果と呼ばずして何と呼ぼうか。
「猫十態」シリーズ全点(1929年)、戦前にニューヨークで刊行された「猫の本」所収の全20点、アルゼンチン国立美術館にある幻の名作、画伯夫人秘蔵の戦後素描作品な収録されているとある。
それは中々にお目にかかれない作品群であるということはわかる。
それでも、そうした美術的な価値を画伯と描写された対象である猫との間に濃密に流れる愛情の発するオーラが遥かに上回っているように感じる。
ネコはちょっとという方々にも画伯の逸品という観点から是非観賞して戴きたい。
芸術とは愛情に他ならないということに気が付かれるだろう。


cover


新選組隊士伝―蒼き群狼、その生と死の断章 歴史群像シリーズ (72) 

NHKの大河ドラマが「新撰組」とあって書店には新撰組関係の本が何冊もある。観察していると結構、女性も手にとって見たりしている。
新撰組に関した本でお薦めというのは沢山あるのだけれども、基本を押えてくためには、やはりこの「歴史群像シリーズ」が定番といったところだろう。
「歴史群像シリーズ」には別に「血誠新撰組―峻烈壬生浪士の...歴史群像シリーズ 31」というのもあるし、近藤勇を取り上げたものなどもある。
その中で最新刊であるということも言うまでもないけれども、近藤勇の妻が近藤亡き後、再婚を勧められた時のエピソードや斉藤一のその後についてなど興味をそそられる話が満載。その他の有名ではない隊士に関してもを取り上げているという点では便利。
何が便利と言って、安直には大河ドラマを見るときに登場人物ガイドになって便利なことこの上なし。もっとも、大河ドラマとしての新撰組ガイドということであれば、その手の本が別にある。
それでも、やはり、ドラマでは焦点が当てられていない隊士の末路をざっと知るには最適の本と言える。
そして、この「歴史群像シリーズ」で忘れてはならないのがカラーの特集。
「新選組隊士伝」では「図説・新選組全足跡」なんていう垂涎モノの特集で新撰組の名場面ならぬ事件の再現を堪能出来る。
それにしても、新撰組関係の本は既に何冊も持っているのに、また買ってしまうのは何故なのか。


cover


火曜日, 1月 13, 2004

しあわせ練習帳―少しの変化で、あなたはHappyになる! 

本の帯に石田ゆり子さんの『自分の生活に欠けているもの、それは「自分自身」なのかもしれない」ハッとした。本当にそうだ。』
なる言葉がある。
「すべての女性に贈る」ということだけど男性にも、いや忙しい忙しいという男性にこそ読んでもらいたい。
自分を冷静に見直そうというメッセージに溢れた一冊。冷静にと書いたけど自分の欠点を見直そうというより、立ち止まって考えようというメッセージ。
世の中、アオレナリン社会で立ち止まることを知らない。物凄いスピードで社会が回っている。
実は、回っているようでいて回っているのは自分自身だったりする。
だって、自分が考えている世の中っていうのはそんなに曖昧なモヤモヤとしたものではないはず。あの人とあの人とあの人とって言う具合に具体的な社会がある。
そして、それを回している一人に自分がいる。
違う?
確かに違う場合もあるかもしれない。その場合は何か大きな見えない、そう恐ろしい力が社会なのかな。
それでも、それでも、そうした見えない力で動いている、しかも、物凄いスピードで走っている社会から一歩引いてみても良いんじゃないだろうか。ちょっと脇に寄ったとして、もの凄いスピードから振り落とされたとして、本当に痛いだろうか。
何も考えずに走っているほうが、心が痛いということだってある。



cover


シェリル・リチャードソン (著), 山田 聡子

フューチャー・イズ・ワイルド 

2億年後の地球!人類が消えた後の世界を描いた作品。
著者はあの「アフターマン」と同じ。
ちょっと想像すら出来そうにもない2億年後の世界を描く、しかも何だこれはという生き物の絵ばかり。ウルトラマンの怪獣図鑑を見ているかのよう。
しかし、怪獣図鑑とは一味違う。いや一味も二味も違う。
少し間違えるとトンデモ本になりそうなところでありそうなところが、そうはなっていないのは、この本が一応きちんとした科学的根拠を以って想像されているからだろう。
一応と言ったのは、科学的想像力というところを読者たる私が慣れていないために判断出来ないという勝手な理由による。
これは否定的な意味ではない。
科学的であるかどうかを別として面白いのだ。自分でもあれこれと想像してしまう。ページを捲る前に想像する。これがアリならこういうのもアリだろうとか。絵を目にする前に本の記述から、きっとこうに違いないとか。
一通り読み終わった後でも、こうなるんじゃないかなど。
中でも、8トンもある現代の動物で喩えるならば象のようなと形容されるイカが陸上を歩くというのには度肝を抜かれた。何故、イカなのか。タコではいけないのか。
ひょっとすると、イカ=火星人的な発想ではないのか。
しかし、陸上の生物が海から陸へ進出してきたという歴史を鑑みるならばイカが陸に進出するということは何ら不思議ではないのだという。
イカは海から陸へ進出する最後の残された生物の最有力候補であるということかもしれない。しかし、本当に何故イカなのだろう。気になって仕方がない。
ふにゃふにゃではないのか。ふにゃふにゃは関係ないのか。非常に読者たる私は非科学的発想から、常識という名の無からなかなかに抜け出すことが出来ない。
それでも、楽しい想像が膨らんでいく。
最後に、人類亡き後の最高の知性がイカになるという想像も意外の3乗根。
今日からイカを食べるのを後々のために少し止めようかと考えたら、この本の舞台は人類亡き後の話であることを思い出した。
それでは、イカの塩辛を食べようか。やはり、少し辞めておこう。


cover


ドゥーガル・ディクソン (著), ジョン・アダムス (著), 松井 孝典 (編集), 土屋 晶子 (翻訳)

This page is powered by Blogger. Isn't yours?