月曜日, 4月 11, 2005

桜は続くよ、村山に 

 村山にも案外、桜がある。
菖蒲園の桜でも楽しもうかと歩いて、途中で予定を変更。唐突に変更したわけではない。歩いているうちに、あそこにもある、ここにもある。と気がつけば菖蒲園へと曲がるべき道を曲がり損ねて歩きすぎ、という次第。
国立音楽大学の校内、拓殖一校の校内、玉川上水の川辺、佼成霊園と桜は続くよどこまでも。
この桜、いわゆる自生種というのは中国の33種、ヒマラヤに3種、日本に9種の他、ヨーロッパで3種、北米に2種あるとか。
正式には、バラ科(Rosaceae)のサクラ属(Prunus)に属する植物のうち、スモモやモモ、ニワウメ、ウワズミザクラを除いたサクラ亜種のみがサクラと呼ばれる。
日本に9種というのに違和感を覚える向きもあるだろう。もっと種類があるのではないのかと。その通りで、園芸品種を含めると日本には約300種のサクラがある。
色々なサクラがあっても、それは桜。
幕末に日本に滞在した英国の外交官オールコックは『大君の都』の中で、

「このような牧歌的な情景がしばしば、過度の飲酒のためにだいなしにされている」

と嘆いた。

桜の花に人生の短さを重ね合わせて想いを巡らせながら、日頃の鬱憤を花の下でぶちまける。この矛盾をも孕む日本人の行動をオールコックは理解することが難しかったのかもしれない。

梶井基次郎の梶井基次郎全集に納められている「桜の木の下には」に有名な一節がある。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。
なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この2、3日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の木の下には屍体が埋まっている。
これは信じていいことだ。」

生きるものの儚さを桜の華々しさに投影する。

だから、万延元年の幕府の遣米使節団副使村垣淡路守範正が『遣米使日記(昭和19.4.20再版阿部隆一編、文學社)』の中で、スミソニアン博物館のミラ展示を見て、

「 こなたの隅に硝子を覆いたる中に人骸の乾物三ツあり、千年を経しものといふ、野晒しの如きものにてはなし、肉皮とも乾きて全骸立てり、男女といへども見分けがたし、天地の万物を究理する故、斯の如きに至るといえど、鳥獣虫魚とひとしく人骸を並て置くは言語に絶たり、額に汗するという古語に反覆せり、則夷狄の名はのがれぬ成るべし。」

と驚愕したのは、丁度、オールコックとは反対の態度だとも言える。

どこに何を見るかは文化に関係しているといったところだろうか。








<<一言主>>
○イギリスの先天性失語症の家系の研究から言語の遺伝子が特定された。

○唖(おし):言葉を発することが出来ない状態。あるいは、そういう状態の人。

○ウェルニッケ野とは、側頭葉にある部分で、他人が話した言葉を理解する機能をもつとされている。

○両親ともにオシでも9パーセントの子しかオシにならない

○ウェルニッケ野の起源は10万年以上前と考えられている。

○手長猿は歌のような鳴き声で会話する。

○手長猿は他の類人猿よりも種類が豊富で9種類ほどが知られている。

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