水曜日, 2月 23, 2005

古代ロマンに思いを馳せる 

奈良で古代ロマンに火が付くような発見が相次いでいる。
昨年の10月に吉野と奈良の山辺の道を歩いたが、同じ奈良の高松塚古墳にも御所市の極楽寺ヒビキ遺跡にも時間の関係で行けなかった。
ヒビキ遺跡で見つかった大型建物跡は5世紀の大豪族葛城氏の王宮か、などと言われているから是非とも見に行ってみたいもの。
葛城氏が雄略帝によって焼き討ちにあったという日本書紀の記述を裏付けるように火災で全焼した痕跡があるというからなおさら見てみたい。
約170平方メートルの群馬町の三ツ寺1遺跡の大型建物を越す規模というから、おそらく葛城氏の本拠地だったのだろう。
葛城氏と言えば、始祖の襲津彦の娘磐之媛(いわのひめ)が仁徳帝皇后として履中、反正、允恭の3帝を産んだ他、仁徳から仁賢までの9代の天皇のうち8人までもが葛城氏と繋がりがあったと言われる。それ故に、第21代雄略帝までを葛城王朝と呼ぶ向きもある。
いづれにしても、崇神以前の王朝と崇神以後、垂仁、景行と続く三輪(イリ)王朝、応神からの河内(ワケ)王朝。加えて、イリともワケとも関係を保ちながらも崇神以前の勢力を温存させた葛城氏の栄華の痕跡には興味深々。
もう一つは高松塚古墳から7世紀末から8世紀初めの土器片が出土したというもので、これで今まで不確定だった高松塚古墳の築造年代が明らかになったというもの。
奈良で泊まったホテルでは親切にも地元の新聞の考古欄のスクラップブックを見せていただいた。その記事の豊富なこと。ほぼ毎日掲載されているのではないかと思えるほど。
しかも、その多くは全国版のニュースでは取り上げらていないものだったから、非常に羨ましかった。
近いうちに、再度、奈良へ古代ロマンの旅と洒落込みたい。

<<一言主>>
○「ラスト・オブ・モヒカン(The Last of the
Mohicans)」は英仏植民地戦争(第2次百年戦争)の際に英国と手を組んだモヒカン族の酋長チンガチュック(ラッセル・ミーンズ)の息子ホークアイ(ダニエル・デイ=ルイス)と英国のマンロー大佐の娘との恋を中心にした感動の映画。

○モヒカン族とイロコイ族はヨーロッパ人入植前の北米大陸で覇を競っていた。

○いわゆる「モヒカン刈り」という髪型は北米大陸東部を本拠地としたイロコイ族、モヒカン族、ソーク族の髪型として知られている。

○スー族、シャイアン族、アパッチ族、コマンチ族、ホピ族は長髪族とも呼ばれていた。

○南米インディオはアジア大陸にいる日本人などのモンゴロイドと遺伝学上近いと考えられている。

○北米インディアンは狭義のモンゴロイド(=アジアなど旧大陸にいるモンゴロイド)からは遠くむしろアイヌなどに近いとされている。

○スウェーデン、フィンランド、ロシアの4カ国にまたがって生活しているサーミと呼ばれる人々の源流はモンゴロイド。

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