日曜日, 5月 01, 2005

富山2泊3日 

 2泊3日の富山の旅から帰宅。初日は宇奈月から黒部峡谷をトロッコ列車で登る。朝から生憎の雨。かなり強く降ったが終点の鐘釣では晴れ間も。終点?と思う方は正解。ただ、この日はまだ鐘釣までの営業。その先は除雪作業中とのこと。
宇奈月に戻って黒部市内へ。昼食は生地(いくじ)。道に迷う。救いの神はYKKの工場のお姉さま方。「上って真っ直ぐ」と教えてもらう。海へ行くことを上るというのだろうか。
聞きそびれてしまう。
魚の駅で海鮮丼を堪能。

料理を待っている間に観光協会の人に話しを聞く。この生地は一度海に沈んだ地とのこと。もともとの町は現在の海の中なのだとか。住んでいた人々が新しく築いた場所ということで生地という地名になったという。
この辺りは清水で知られているそうだが、面白いのは清水と書いて「しょうず」と読む点。何度も「しょうず」と出てくるものだから聞き返してしまった。

2日目は、井波彫りで知られる瑞泉寺へ。
 

蝦夷屋さんは東京の昭島の神輿の屋台彫刻を手がけるとか。昭島と言えば、武蔵村山の近く。それにしても、見事な彫刻の数々。
瑞泉寺は一向一揆の拠点として知られた寺院。その名残が今も残る高い石垣。
見所は、随所にある井波彫刻。

続いて、国宝瑞龍寺へ向かう予定を繰り下げて、氷見の港へ。
 

氷見の港でも海鮮丼。

そして、いよいよ国宝瑞龍寺。
 

裏手にあった前田利長公の墓所の彫刻にうっとり。

瑞泉寺と瑞龍寺に関してはまた後日。

そういえば、富山市周辺の信号機は横に並んでいるのではなく、縦に並んでいる。
これは雪の関係なのだろうか。


最後の3日目は鱒すしを購入して帰途に着く。
朝8時台にも関わらず、富山市内には店を開けているところが複数軒。
ちなみに、下の製造現場の写真は「竹勘」さんではありません。
 


<<一言主>>
○キリスト教モンタノス派は創設者モンタノス(Montanos)と女預言者プリスカ(Prisca)、マクシミッラ(Maximilla)によって広められた。

○キリスト教モンタノス派は教皇ゼフィリヌスのアジア会議によって異端とされた。

○キリスト教では90年から140年頃を使徒教父の時代と呼ぶ。

○キリスト教エビオン派はユダヤ教色を強く残し律法の遵守を唱えた。

○キリスト教マルキオン派は旧約聖書の世界と新約聖書の世界を峻別しキリストの受肉を否定した。

○グノーシス主義というのは啓示の知恵の認識を重視する神学体系のこと。

○グノーシスとはギリシア語で「認識」を意味する。

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