月曜日, 4月 04, 2005

米と糞、素人と専門家 

科学哲学者ポッパー(Karl Raimund Popper,1902-94)は反証可能性を備えているかどうかが、科学と非科学を決定的に区別するのだという趣旨のことを言った。
また、実験で確かめることが出来るかどうかが哲学と物理学との決定的な差なのだと、ある物理学者は言う。
ある一つの証拠が出た時に、その証拠が通説ではどうも説明出来ない。そんな場合に、証拠のほうを葬り去るのか、通説のほうを葬り去るのか。
簡単な問題ではない。
通説というのは何層にもわたる先人達の智慧の結晶。証拠が沢山出てきてしまえば、それはそれで良い。しかし、1つや2つでは。という気持ちになるのも首肯出来るというもの。
先人の智慧を軽んじてはならない。
とはいえ、先人の智慧を盲信することも、ある意味で先人の真摯な知的探求の努力に対して礼儀を失する。

何事もバランス。そして、冷めた頭と暖かい心が必要。

さて、米が異なると書いて糞。確かにと唸ってしまう漢字の作り方。
米とは異なるが、米が変わったものなので糞。元は米。
だから、米が誰かの体内に取り込まれて異なったものになってしまったのと、米が米のままで放置されて異なってしまったのと、区別は難しいのではないかと考えるのが自然。特に素人には、何百年も経った両者の区別など、付けられそうにもない。

区別が付きにくいというのは素人に限った話ではないようだ。
古墳で見つかって豊作を願う儀式用の擬似米(米粒状土製品)だと考古学で考えられてきたモノが実際はコガネムシ科の昆虫の幼虫の糞であったということが奈良県桜井市教育院回の橋本輝彦主任の調査で判明したという。
大学に在籍しない考古学者が橿原市昆虫館、奈良教育大に考古学上「擬似米」とされた糞の鑑定を依頼し正真正銘の糞だという結果を得たのがそもそもなのだとか。
「擬似米」の表面には、きちんと、幼虫の肛門の皺が刻まれていたというから驚き。
大学に在籍していない考古学者の「説」は考古学の世界では「通説」を覆すには至っていない。

「米」そのものではなくて「米状製品」だったわけだけれども、やはり「米」と「糞」との見分けは難しいということを「実証」したとも言える。


<<一言主>>
○源仲綱(1126-1180)の名馬「木(こ)の下」は平宗盛によって仲綱と名付けられた。

○源仲綱は平宗盛(1147-1185)に請われて「木(こ)の下」貸した。

○源仲綱(1126-1180)は源頼政の嫡男。

○源頼朝は河内源氏、源頼政(1104-1180)は摂津源氏。

○摂津源氏は多田姓を名乗ることが多い。

○清和源氏の祖、源頼光の嫡流は摂津源氏。

○平 維盛は清盛の嫡子の重盛の長男。

○平 維盛は鹿ヶ谷事件に荷担した藤原成親の娘を妻としたこと、親の重盛が早世したことで嫡流ながら疎んじられた。

○平 維盛は桜梅(おうばい)少将と呼ばれた。

○平 維盛は屋島で平家一門から離脱。紀州に渡り入水自殺したというが生き延びたという伝説も残る。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?