土曜日, 11月 20, 2004

多賀大社(多賀_近江) 

米原駅から近江鉄道に乗り高宮駅で乗り換えて多賀大社前駅へ。朝9時台ということもあって高宮駅から一駅目で終点の多賀大社前駅まで貸切状態。
その多賀大社前駅を出たところにある鳥居。鳥居の両脇に旅館が残る。現在は営業していないようだけれども、建物の造りに多賀詣での盛んだった頃を偲ぶことが出来る。


多賀大社駅前から大きな鳥居を潜って農協前を抜け橋を渡って左に折れる。そこは絵馬通りと呼ばれる門前のメインストリート。絵馬通りと言われるだけあって通りに面した民家の軒先には「笑門」の絵馬が掲げられている。


真如寺から少し進んだところで多賀大社の境内に入る。但し、これはいわば脇道。
そこに鎮座するのが摂社の日向神社。天津日高日子火之瓊々杵尊を祀る。良く見ると徳川家の葵の紋がある。これに注目。


徳川家が多賀大社の修復に尽力したことを表す大釜。それで、先ほどの日向神社に葵の紋があったわけだ。


多賀大社は伊勢神宮が祀る天照大神の両親に当たる伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祀る古社。鎌倉時代には犬上郡総鎮守とされ神主は鎌倉御家人という特権を有していた。やがて、坊人と呼ばれる下級神人が日本各地を廻り「お伊勢参らば、お多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」あるいは「お伊勢へ七度、熊野へは三度、お多賀さまへは月参り」という言を広め信仰を集めた。
近江の寺院を焼き討ちした織田信長も信仰し、甲州の雄、武田信玄も寄進を行っている。中でも、豊臣秀吉は天正16(1588)年に母親の病気平癒のために祈祷を依頼し、母親の病気が平癒したことに感謝し多賀大社の社殿改修を行うとともに1万石を寄進している。
また、天文24(1555)年鋳造の鐘には浅井長政の名も浅井猿夜叉として残る。


[神門]


[太閤橋]


[絵馬通りの風景]





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