月曜日, 8月 16, 2004

血液型って 

血液型による性格の分類とか占いとかを信じている人は結構いる。
そんなもの信じてはいないよと、星座占いと同じように否定する人も、ここ一番という決断の場面に遭遇したりすると、ちょっとだけ頼ってしまう。
それが現実というもの。
他人が思い悩んで血液型占いにすがっているのを目にすると、そんなものに頼るなんてと思う人が多いのに。
それを否定はしない。
科学的な、例えば心理学などが、そうした人生のここぞという場面での決断に指針を与えてくれるならば問題はない。血液型じゃなくて心理学を信じなさいと堂々と言えるだろう。しかし、心理学は学問であって占いや宗教とは違うので、血液型占いが与えるようなものを必要としている人に対して救いの手を差し伸べるということは期待出来ない。
それでも、血液型「学」と本当の学問である心理学とは接する領域を持ってしまっているので、論争が巻き起こることになる。

『私立幼稚園九州地区の教師研修大会で「血液型保育」推奨』という琉球新報の8月6日の記事で紹介された、私立幼稚園連合会九州地区会の第20回教師研修大会沖縄大会での教育評論家・阿部進氏の講演が心理学者の非難を受けている。
これが、もっと私的な会合での講演であれば「お話し」として、非難を浴びるということは無かったのかもしれない。ところが、この会合には文部科学省幼児教育課の蒲原基道課長も参加していたというのが心理学の立場からの反発を買った。
そう、これでは、文部科学省が意図していなかったとしても、文部科学省が血液型教育を黙認しているかの如く受け取られかねない。
もちろん、そうではないだろう。
この血液型講演で阿部進氏は
『教室内で自由に座らせると、B型の子は「先生の前に」、A型の子は「窓際や廊下など端の方に」、O型は「真ん中で群れになって」、AB型は「一番後ろ」など血液型により顕著な違い』
があり、この違いに着目して教育をというような趣旨のことを述べたらしい。

これに対して、こうした俗説を正すためにも
『阿部氏を攻めることよりも,まともな実験による反論が必要』
とか、そうは言っても
『まともな実験による反論といっても、「追試をしたが血液型による有意差はありませんでした」というだけではあまり説得力は無い』
としつつ、
『純粋に科学的レベルで血液型特有の行動傾向が認められようと、認められまいと、 とにかく、実用に耐えうるような顕著な差でなければ、日常生活行動の予測や、適性や相性の診断には使えない。そんな不確かな道具は、エラーを増やし差別や偏見を助長するだけだ。』(*1)
と至極常識的な反応をしている。

血液型「学」は科学ではなく、科学である心理学とは土俵が違う。ただ、重なるというか接する場面、上のようなケースでは重なってしまう訳で、そうした場合には科学たる心理学がそれこそ科学の力を発揮すべきだろう。
重ならないところ、血液型占いのようなところは、いわば信仰であり宗教のようなものだから、科学である心理学が立ち入る領域ではないと思う。

実は、一般の人は、そうした区分は百も承知で、血液型○○を見ているわけだから、心理学者が心配するほどのことはないのかもしれない。
ないのかもしれないのだけれど、先行きが見通せないご時世だからかテレビでも血液型「学」は取り上げられているし、仮に文部科学省のお墨付きが得られたんだというような解釈がされて教育現場に浸透するようなことにでもなると別の問題となってきてしまう(*2)。

*1:岡山大学文学部心理学教室 長谷川芳典氏による論考
*2:優生学の歴史

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