月曜日, 7月 26, 2004

『海山十題』 

横山大観の『海山十題』が上野の東京芸術大学美術館で公開されている。
今回の展示の目玉は『海山十題』の一連の作品の中で散逸していた「龍踊る」などの作品が一堂に集まっていること。
時代が変わっても、横山大観の作品には訴えかけてくるものがあると紹介されていたが、至極もっとも。
藝術家といえども、その生きた時代とは無縁では有り得ない。

この『海山十題』は、太平洋戦争を目前として、戦闘機を購入するために連作されたとして有名。

横山大観(1869-1958)は水戸藩士の家に明治元年に生まれる。岡倉天心の薫陶を受け、モノを忠実に再現する絵画ではなく、モノの奥にある精神を描くことを決意。
これは、後に朦朧体という会が手法へと結実していく。そこには、日本古来の大和絵の単純な発展ではなく、西洋画をも取り入れた大いなる展開を見て取ることができる。

「山十題」の山は富士山。富士山を描く濃淡の使い方には明らかに印象派の影響がある。一方、「海十題」は、存念の画家と言われる大観らしく、全体としては太平洋を中心として描いていると考えられるけれども、決して特定の海を描いているのではなく、大観の心象たる海を描いている。その海は、日本人ならば、誰でも故郷を、遊びし頃を、それぞれに思い浮かべる海と言える。
波の表現は朦朧体であるが、そこには西洋海がの遠近法を光の表現法とともに見ることが出来る。
1930年代の国民精神総動員運動の中の「海ゆかば」に代表される海洋国家日本と「海十題」は時代の中で共鳴しあっている。
また、「山十題」にも「海十題」にも描きこまれている不自然なほどに存在感を持つ太陽は、言うまでもなく日が昇る勢いの日本を象徴している。一見して太陽とは思えないほどの日の丸は将に時代が要請したものと言えよう。
しかし、戦後も何十年も経過して、当時の戦時高揚の空気を推し量ることが困難になりつつある現代においては、『海山十題』は当時とは別の輝きを放っている。
それは、画家の精神を体現しているにも関わらず、絵画が描かれた瞬間に、絵画は画家の精神から離れ鑑賞するものが価値を附加するようになるからなのかもしれない。


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