月曜日, 6月 07, 2004

今日は使えない回転ドア 

3月26日に発生した六本木ヒルズ回転ドア死亡事故。この事故で大阪府吹田市の溝川涼ちゃん(6つ)が亡くなった。
そして、記憶が正しければ、その翌日からあちこちの回転ドアに「危険です」という張り紙がなされ、回転ドアの使用が禁止された。使用が禁止とは言っても、利用する側は好んで利用していた訳ではないから表現に違和感を持ったことを覚えている。
更に、その後、回転ドアの回転を止めて以前の開閉式のドアとして利用するところが出てきた。そうでもしないと、入り口が無くなってしまうからである。
全く関係ないし、事故もないようで、しかも足腰の弱い方々に評判が良いけれども、全部替えてしまうのは如何かと思うのは東京の駅のエスカレータ。階段の時よりも込むと感じるのは私だけだろうか。ただ込むだけならば良いのだけれども、ホーム自体が込む時には、エスカレーターの入り口がお団子状態になってしまっている。
これが、どうして階段だった時はお団子状態を避けることが出来たのか。答えは簡単で、昇りと下りの階段の幅が階段を利用する人々の量によって変わったから。柔軟な可変システムだったわけだ。しかも、利用者側の自然の流れで。
ところが、エスカレーターは昇りと下りの幅を変えることは出来ない。時間帯を細かく分けて昇り専用、下り専用とする手もあるだろう。しかし、そうすると逆方向を利用しようとする人にとっては不便極まりない。エスカレーターが2本以上設置されているような大きな場所では多少の融通も効くだろう。
それでも、アナログ的な通行人、利用者自身による可変システムのほうがシステムとしては優れているように思える。
ところが、ところが、そうすると、今度は足腰の不自由な人々にとっては不便極まりない。エレベータでも利用しなければならない。
結局のところ、駅のホームのエスカレーターの前に出来てホームを塞いでしまうお団子状態はどうしようもないことなのかもしれない。
話が大いにそれた。
で、回転ドア。昨日から強めの雨が降ったことと関係があるのか、今日、汐留の回転ドアは、回転ドアそのものが機能停止状態。あちらに行け、こちらに回れと旧式ドアへと誘導するサインが貼り付けてあった。
エスカレーターやエレベーターや回転ドアといった利器に完全に依存していると意外に不便なものだということを最近痛感。
足腰の不自由な方にはエスカレーターやエレベーターを設置するという機械的対応も必要だけれども、その場に居合わせた人達で協力しあって"おんぶ"しようというのも人間的のように思える。
ところで、回転ドアというのは誰のために設置しただろう?



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