水曜日, 3月 03, 2004

数学は芸道なり 

「数学というのが非常に実用的な学問なんだということが、島田雅彦さんの『無敵の一般教養』という本の中で触れられているわ。
この本、パンキョーと銘打っている通りに作者が宇宙から農業に至るまで幅広い専門家の先生方から講義を受けるという形式を借りた対談集。
その中で、足立教授が数学は実用的なんだって指摘している」
「第二次世界大戦における米国での数学の使われ方の例を引いてでしょ。
どうやったら効率的に少ない船舶で物資を輸送出来るのかだとか、最低限の爆撃機で最も効果的な爆撃をするためにはどうすれば良いのかといったことが戦争中には研究されたわけだよね。いわゆるOR、オペレーションズ・リサーチと呼ばれるもの。
こうした流れは戦争が終わっても続けられた。戦争の時は戦争のために研究されたわけだけど、戦後は経営問題に応用されるようになった。
線形計画法、ゲーム理論、ベイズ決定理論などが典型的だけど、こうした基礎の上にSCM(サプライチェーンマネージメント)やTOC(制約理論)などが開花している。
日本ではどうも、その辺りがすっぽり抜け落ちている」
「日本では認識が薄いでしょうね。
でもね、日本人には数学的思考が伝統的に無いんだということは言えないわよ。日本には算学という伝統が江戸時代までしっかりとあったわけだし。
建部賢弘、久留島喜内と並ぶ日本三大和算家の一人の関孝和(1642-1708)などは『発微算法』(1674)で多元連立方程式の解法を纏めているし」
「算学塾というものもあちこちにあって、しかも算額というものもあったわけで数学は庶民レベルにまである程度は浸透していた。
算額というのは神社など、お寺の場合もあるけど、そういう皆が集まるところに奉納した数学の絵馬、数学の問題などが書かれてあるもの。これは、村瀬義益の『算学淵底記』(1681)によると17世紀中頃には少なくとも江戸のあちこちに算額があったと紹介されている」
「そうした伝統の灯火は明治維新以降は西洋数学の導入によって消えていったわけね。政府による公式の教育の場に日本の伝統的な数学が取り入れられなかったということもあるし、伝統的な数学が子弟制度のもとで継承されていたということも原因の一つでしょうね。
例えば、和算には会田安明(1747-1817)を始祖とする最上(さいじょう)流と関孝和の始めた関流という2つの流派があったわけだし」
「そうした流派に属した数学者が全国を遊行して生計を立てていたんだよね。そこを足立教授は数学は芸道だったということを言っているわけだね。
ヨーロッパはどうなのかというと、ダイレクトな指摘はないけど、おそらくはある時期までは日本と同じだったのかもしれないね。数学には理論的なものと計算的なものの2種類あるんですよ、ということも触れている」
「理論的なことと計算的なことと、数学が芸道であったこととの関係がはっきり分からなかったけど、日本の数学が芸道の伝統を引きずっていたために第二次世界大戦の時にも米国のような研究はなされず、しかも、戦争後も経営問題に数学の成果が積極的に応用されたりすることはなかったんだということは納得できたわ」
「数学者のピーター・フランクル(Peter Frankl)さんが日本で歓迎されるのも、その線で理解出来るという視点も頷けたね」


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無敵の一般教養
島田 雅彦 (著)

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