月曜日, 2月 23, 2004

決定論的ではない世界 

「機械論的というのは、特定の原因が結果を生み、その結果がさらに別の結果を生むという考え方。こうした考え方が原子だとか宇宙という概念と深く結びついていたわけだけど、現在に至るまでの科学的考え方の基本になっているのよね。これは、自然科学に留まらない」
「留まらないね。
科学的思考方法というのはあらゆるものの基本になっているからね。もちろん、科学的思考方法は機械論的なものでなければならないかというと、そういうことは全然ないわけだけど。
機械論的な世界観というのが基本になっている。
ところで、この機械論的な考え方は、世界で起こる事柄というのは事前に決まっているという決定論という考え方を暗黙に含んでいる」
「だから、物事の動きを細かく分けて分析していくと、将来何が起こるのかということがある程度確実に事前に知ることが出来るだろうという発想を生んでいく。
デカルトやニュートンは機械論的世界観に基づいて世界を機械のようにみなすことで数々の法則を見出していったわけね」
「分割して分析して還元していくという思考パターンだね。
こうした考え方があったからこそ、科学技術が発展することが出来たともの言える。
だから、この考え方を社会経済現象にも適用してみようということを思うのも当然の流れということになるね」
「コンドラチェフの長期波動などには、その考え方がないとも言えない。特に、この長期波動を決定論的に用いる人が多いというのは確か。
コンドラチェフの拡大期が1945年頃に始まって、67-73年をピークに沈滞期に転じて、再び90年代に拡大期に入ったという考え方は決定論的な結論を暗に含んでいることが多い」
「結果として、コンドラチェフ循環という約50年を周期とする長期経済波動が存在しているということは事実。でも、それが今でも存在しているのかということは別。さらに、経済現象がコンドラチェフ循環に沿って動いていくのかどうかということは別ということは頭の片隅に置いておかなければならないと思うね」
「そうだとしても、なお機械論的な考え方はいろいろと誤謬があるにしても全く捨て去るべきものとするには代償が大きすぎるように思う。
また、コンドラチェフの長期経済循環も各々の景気サイクルのメカニズムを説明する理論があれば経済動向の理解に役に立つと言えるんじゃないかしら」
「そうだね。
ものは使いようだから。
例えば、コンドラチェフの長期循環のそれぞれの局面を説明する考え方の一つに、資本主義経済によって十六世紀以降の世界は一体化したんだという『世界システム論』という考え方がある。I・ウォーラーステインが唱えている考え方だけど、そこでは覇権システムのサイクルを中心に据えている。
その考え方が決定論的な含意を持つ機械論的世界観なのかというとそうではないように思えるね」

   
第1波 1789(1792) 1814(1813) 1849(1851) 英国産業革命
第2波 1849(1851) 1973(1873) 1896(1896) 鉄鋼業と鉄道の発展
第3波 1896(1896) 1920(1920) 1940(1933) 電気、化学、自動車などの発展
第4波 [1933-40] [1967-1973] [1980-1990]  


転移する時代―世界システムの軌動 1945‐2025
イマニュエル ウォーラーステイン (編集), Immanuel Wallerstein (原著), 丸山 勝 (翻訳)

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