月曜日, 8月 19, 2002

諫早からの島原へ 

★東証一部上場の日立精機が民事再生法の適用を東京地裁に申請して受理される。日立という名を冠し、戦後の一時期は日立製作所が大株主であったものの、もともとは、戦前の日産財閥の一翼であり、現在は日立グループとは資本関係がないという。
 上場企業の経営破綻は2002年に入って、この日立精機を含めて25社を数え、経済統計上は景気に明るさが見えてきているとはいえ企業経営上は困難に直面している企業が多い。

 さて、今日は長崎から諫早を経て島原へと足を伸ばした。
 諫早からの島原鉄道は2両編成で周りの風景も実に長閑で心地よかった。
 集落の真ん中を線路が貫いているので、列車のなかから人々の生活を感じることが十分できる。
 少し新鮮だったのは駅のホームに自転車が駐められていたこと。
 ホームに駐輪場があるのだ。
 これは、何のことはないことかもしれないが、当方には非常に新鮮だった。
 さらに、自転車の周辺に無造作?にヘルメットが置かれていた。
 都心ではこのようにヘルメットを置いておくと無くなったり、蹴飛ばされてしまうだろう。
そういう心配がないということが羨ましい。
 
 一つ、気になったこと。

 途中で、諫早湾を締め切る建造物を眼にした。
 その内側ではなく外側の海が泥海の如くに濁っていて、その濁りは島原の近くまでずっと途切れることなく続いていた。
 
[島原城]
島原鉄道の島原駅を降りて改札を抜けると目の前に天守閣を望むことができる。
 この城は、キリシタン大名有馬晴信の子、直純が延岡に移封となった後に入封した松倉重政によって原城に替わる本拠として築城された。
 島原の叛乱では、外郭の大手門(現在官庁地区)と桜門(現在島原第一中学等)で戦闘が繰り広げられた。
 その後、高力、松平、戸田、松平の四氏19代の譜代大名が本拠とした。
 なお、写真にある現在の天守閣は昭和39(1964)年の再建。

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