六角堂

『六角堂頂法寺縁起』によると、聖徳太子(厩戸皇子)が四天王寺の材木を探して小野妹子とともに、山城の地を訪れたという。その時、持仏の如意輪観音を槲樹に置いて湯浴みをしたところ如意輪観音が動かなくなった。そうこうしているうちに翁が現れ、寺を建立することとしたのだという。

この六角堂は、華道の池坊の本拠地であり、池坊家は聖徳太子とともに、この地を訪れた小野妹子の子孫とされる。池坊氏が世に出てくるのは室町時代。小野妹子11代の池坊専慶が立花を始め、室町時代末期に池坊専應が『池坊専應口伝』を著して華道の家元の座を確立してから。

華道自体は四条道場金蓮寺の時宗の遁世阿弥者達によって始められたとされる。「この仙伝書は三条殿御秘本、頼政公、御所望に依る」との奥書を持ち、三条家から富阿弥に伝えられた『仙傅抄』が最古の華道書と言われている。この書には、1445(文安2)年3月25日付けの富阿弥から1536(天文5)年1月17日付けの池坊専慈までの所有者の名が記されている。


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