鎌倉時代〜

1180 治承4 北條氏の館で源 頼朝が挙兵、山木兼隆を討つが、石橋山で平家軍に敗れ安房に逃れる。
源[木曾]義仲、甲斐源氏武田信義挙兵。
源 頼朝、巻き返して、鎌倉に入る(鎌倉大倉御所)。
1181 養和元年 高倉上皇没、後白河法皇院政開始。
平 清盛没。京都で大飢饉。 | 1182 |
1183 寿永2 源(木曾)義仲、京都に入る。平家の都落ち。
1184 寿永3 源 範頼、義経が宇治で源(木曾)義仲を討つ。
源氏軍、一ノ谷の戦いで平 通盛、忠度、敦盛を討ち取る。
1185 寿永4/文治元年 平家が壇ノ浦で滅亡。| 1186 | 1187 | 1188
1189 文治5 源 頼朝、奥州征伐で奥州藤原氏を滅ぼす。| 1990 | 1991
1192 建久3 源 頼朝、征夷大将軍となる。(参考)歴代鎌倉幕府将軍
| 1193 | 1194 | 1195 | 1196 | 1197 | 1198
1199 正治1 源 頼朝没。坂東八平氏の一つ、梶原景時が鎌倉を追放される()。1200年に梶原景時一族は合戦の末滅ぼされる()。
| 1200 | 1201 | 1202
1203 建仁3 源 頼家の子、一幡と比企一族が北条時政によって殺される。
1204 元久1 北條時政の後妻牧ノ方による陰謀が未然に防がれる。源 頼家が修善寺で暗殺。
1205 元久2 北条時政が、源 実朝を暗殺し娘婿の平賀朝雅を鎌倉殿にしようとして追放。
北条義時が執権となる。
| 1206 | 1207 | 1208 | 1209 | 1210 | 1211 | 1212 |
1213 建暦3 [和田合戦]和田義盛が鎌倉幕府と一戦し一族滅亡。後に3代将軍実朝は和田一族の亡霊に悩まされている()。
| 1214 | 1215 | 1216 | 1217 | 1218
1219 承久1 源 実朝が鶴岡八幡宮で公暁によって暗殺()。
1220
1221 承久3 [承久の乱]後鳥羽上皇が北条義時討伐を試みるが失敗。隠岐に流される。| 1222 | 1223 | 1224 | 1225 | 1226 | 1227 | 1228 | 1229 | 1230 | 1230 | 1231 | 1232 | 1233 | 1234 | 1235 | 1236 | 1237 | 1238 | 1239 | 1240 | 1241 | 1242 | 1243 | 1244 | 1245 |
1246 寛元2 [宮騒動]北条(名越)光時が前将軍・頼経と謀って執権北条時頼に挑むも敗れる。
頼経は京都に追放となる。
1247 宝治1 [宝治合戦]源 実朝暗殺の黒幕で、宮騒動に加担していた三浦氏執権北条時頼が討つ。
名門鎌倉御家人三浦氏滅亡。この年、同じく名門鎌倉御家人千葉秀胤が北条氏によって討たれる。
| 1248 | 1249 | 1250 |
1251 建長3 鎌倉御家人・足利(源)泰氏の領地を没収。
1252 建長4 北条時頼が鎌倉将軍(鎌倉殿)頼嗣を廃し、後嵯峨上皇の子・宗尊親王を新しい将軍とする。
| 1253 | 1254 | 1255 | 1256 | 1257 | 1258 | 1259 | 1260 | 1261 | 1262 | 1263 | 1264 | 1265 |
1266 文永3 鎌倉将軍(鎌倉殿)宗尊親王が京都に送還される。
| 1267 | 1268 | 1269 | 1270 | 1271 |
1272 文永9 [二月騒動]執権北条時宗が、北条(名越)時章と弟・教時を鎌倉で誅殺。加えて、六波羅探題南方という閑職に追いやっていた実兄の北条時輔を六波羅探題北方の北条義宗に襲わせる。
北条時輔は難を逃れたとも。
| 1273 |
1274 文永11 [文永の役]モンゴル帝国来襲
| 1275 | 1276 | 1277 | 1278 |
1279 弘安4 [弘安の役]モンゴル帝国来襲
| 1280 | 1281 | 1282 | 1283 | 1284 |
1285 弘安8 北条得宗家の内管領平頼綱が鎌倉有力御家人の筆頭安達泰盛を一族とともに滅亡させる。| 1286 | 1287 | 1288 | 1289 | 1290 | 1291 | 1292 | 1293 | 1294 | 1295 | 1296 | 1297 | 1298 | 1299 | 1300 | 1301 | 1302 | 1303 | 1304 | 1305 | 1306 | 1307 | 1308 | 1309 | 1310 | 1311 | 1312 | 1313 | 1314 | 1315 | 1316 | 1317 | 1318 | 1319 | 1320 | 1321 | 1322 | 1323 | 1324 | 1325 | 1326 | 1327 | 1328 | 1329 | 1330
1331 元弘1 [元弘の乱]後醍醐天皇の倒幕計画が漏れ、天皇は隠岐に流される。
しかし、その後、楠木正成、名和長年が倒幕に参加。北条氏は鎌倉御家人名門の足利(源)高氏を派遣。足利(源)高氏も倒幕側に寝返る。| 1332 |
1333 元弘3 新田(源)義貞が鎌倉街道より鎌倉に攻め入る()。得宗・高時と北条一族870余名、東勝寺にて自害し鎌倉幕府滅亡.光厳天皇後伏見上皇・花園上皇は佐々木道誉に引き渡される.同年、足利直義と成良親王が鎌倉下向。
陸奥将軍府樹立(10):北畠親房・顕家父子が義良親王を擁して陸奥将軍府を樹立。
鎌倉府樹立(12):足利直義が陸奥将軍府に対抗して成良親王を擁して鎌倉府を樹立。足利尊氏が武蔵・上総・常陸国主となる。足利直義は関東10ヵ国管領となる。
1335 建武2 中先代の乱(7):鎌倉幕府第14代執権・北条高時の遺児の北条時行(-1353)が、御内人の諏訪頼重に擁立されて鎌倉に攻め入る。この時、鎌倉を後にした足利直義は幽閉していた護良親王を殺害。足利尊氏は勅状を得ないまま京都より出陣。戦線を押し戻し、8月には諏訪頼重を鎌倉勝長寿院にて自害に追い込む。、北条時行は鎌倉から逃亡。
斯波家長奥州総大将に(8):斯波家長が奥州総大将と鎌倉将軍府執事に就任。
1337 北畠顕家が鎌倉に攻め入る
1349 初代鎌倉公方 足利基氏が鎌倉入り
足利直義と高師直の内部対立。直義が師直の執事職解任を兄の高氏に承認させる。これに対して、高 師直は師泰とともに決起し、高氏屋敷に逃げ込んだ直義に代わって、側近の上杉重狽ニ畠山直宗の身柄引き渡しを要求。結果、両者は越前配流。直義は高氏の子の足利義詮に政治上の地位を譲渡。加えて、直義の側で育てられた同じく高氏の子の基氏は鎌倉へ下向となり、直義の室町幕府内での地位は低下。
1350 観応元年 観応の擾乱(-52):足利直義の養子の足利直冬が九州で挙兵。直義も南朝方と同盟。翌年、摂津打出浜で高氏・師直軍が直義軍に敗れ高兄弟の出家で和議。しかし、上杉重狽フ子の伯宸ノよって殺害。
1352 足利直義が鎌倉で没す。兄、高氏による毒殺説あり。
1358 新田義興が多摩川で謀殺。
1359 畠山国清が関東武士主導の鎌倉府に謀反。関東武士との繋がりの薄い伊豆に逃れるも敗死。
1363 上杉憲顕が関東管領就任。
1367 初代鎌倉公方 足利基氏逝去。2代鎌倉公方 足利氏満就任。
1379 康暦の政変:室町幕府2代将軍足利義詮より嫡子義満補佐を託された管領細川頼之を斯波義将が追放。反細川頼之派の近江佐々木高秀の挙兵に応じて、鎌倉公方足利氏満が挙兵しようとするのを上杉憲春が諌死。
1382 小山義政の乱:小山義政が対立する宇都宮基綱を裳原の戦いで敗死させる(1380)。この戦いを鎌倉府への反逆と見た鎌倉公方氏満は追討軍を派遣。義政は櫃沢城で敗れ、糟尾山中で自刃。子の若犬丸は奥州の田村庄司の庇護の下、白河で戦ったものの敗れ会津で自害(1397)。
1398 第2代鎌倉公方 足利氏満逝去。第3代 満兼就任。
1399 西国守護大名大内義弘が室町幕府将軍足利義満に叛旗。鎌倉公方 足利満兼も挙兵。
1409 鎌倉公方 足利満兼 逝去。第4代鎌倉公方に幸王丸(持氏)就任。
1413 伊達持宗の乱:伊達持宗が脇屋義治、懸田定勝らと稲村・篠川両御所を襲撃。これに対して、鎌倉公方足利持氏は畠山修理大夫を将として討伐軍派遣。伊達の大仏城陥落。なお、伊達氏は室町幕府と密接に連携。
1416 上杉禅秀の乱:関東管領上杉禅秀(氏憲)が鎌倉公方持氏に叛旗。
同年、室町幕府は篠川御所足利満直を通じて伊達氏らを京都様御扶持衆とする。
1416 上杉禅秀の乱:関東管領犬懸上杉禅秀(氏憲)が鎌倉公方持氏に叛旗。
同年、室町幕府は篠川御所足利満直を通じて伊達氏らを京都様御扶持衆とする。また、鎌倉府は1422年には幕府衆山入与義、23年には幕府衆小栗満重を攻略。
1438 永享の乱:室町幕府が鎌倉公方足利持氏を討伐。持氏は永安寺で自刃。
1440 永享12 結城合戦:永享の乱で敗れた鎌倉公方軍として戦った結城氏朝が鎌倉公方持氏の遺児春王丸・安王丸を奉じて叛旗。室町幕府は関東管領上杉憲実に追討を命じ、結城城は翌年落城。関東の名門結城氏の下総結城家、陸奥白河結城家のうち下総結城家は断絶(後に再興)。
1449 関東管領上杉憲実が持氏遺児の永寿王丸(足利成氏)を鎌倉公方として鎌倉に招く。
1450 宝徳2 江ノ島合戦:鎌倉成氏が上杉氏家臣長尾、太田氏と合戦。関東管領上杉憲忠は逃亡。
1454 享徳3 享徳の大乱:鎌倉公方成氏が上杉憲忠を鎌倉西御門にて謀殺。室町幕府と全面対立となり、翌年、成氏は鎌倉を後にし古河へ。

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.