1306(徳治元)年丙午

2月


20日 西園寺公衡が赦される。伏見天皇の代に京極為兼との不和によって持明院統から離反した父の実兼が大覚寺統に拠ったことで始まった大覚寺統と西園寺家との関係であったが、亀山法皇の命令が原因で大覚寺統内部が分裂すると、西園寺公衡は娘の寧子を持明院統の後伏見上皇の女御として入内させた

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