梶原景時の追放

結城七郎朝光[1190-]が御所において夢でお告げがあったとして、源頼朝[幕下将軍,鎌倉殿]のための勤行を行おうと仲間に勧める。その席で、朝光は「忠臣は二君に仕えずと言うが、鎌倉殿から受けたご恩一方ならないこの身でありながら、ご遺言のために出家遁世できなかったことは本当に悔やまれる」と往時を懐かしむ言動をとる。

このことが、やがて梶原平三景時[1140-1200/2/6]の耳に入り、第2代将軍源頼家[1182/9/11-1204/8/14]に対する謀反の疑いありと讒訴されるに至る。

結城朝光は、讒訴の次第を北條時政[1138-1215/2/6]の娘で阿野全成[1153-1203/8/1源義経の兄]の妻の阿波局[-1227/12/31]から知らされる。

驚いた結城朝光は朋友の三浦平六義村[-1239/12/31]に相談。

三浦義村と安達盛長[1135-1200/6/9]の呼びかけによって宿老66名が連署して梶原景時をとるか、御家人をとるかと迫る事態に発展。

結局、梶原景時は自分の不利を知り、鎌倉を引き払い在所に戻り、後に京へ一門を率いて上る途上で討たれる。

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