中世美術

西暦300年前後から始まる古代末期=初期キリスト教美術が幕を降ろす600年頃に始まり、1400年頃の国際ゴシック様式の最盛期までのヨーロッパにおける美術のこと。
7世紀、8世紀のプレ・カロリング朝期、その後900年頃までのカロリング・ルネサンス、10から11世紀の美術の地方化を経て11世紀から12世紀にロマネスク様式、12世紀からゴシック様式がヨーロッパにおける普遍藝術言語となっていく時代に相当する。

ミケランジェロ

Michelangelo Buonarroti(1475-1564)。
美術史家ヴァザーリが最高の藝術家としたルネサンス人。盛期ルネサンスはダ・ヴィンチとラファエロが世を去った1519/20年に幕を降ろすが、ミケランジェロは更に40年活動する。その生涯において、古代美術の精緻な模倣から後世の模範たりうる新しい古典を作り上げた。それはルネサンスの古典主義からの大きな前進として自然主義的人体表現としてシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』(1536-41)、フィレンツェの『ピエタ』、未完のミラノ・スフォルツァ城の『ロンダ二ー二のピエタ』に表れている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

Leonald da Vinci(1452-1519)。
盛期ルネサンスを代表する万能の人。フィレンツェのヴェロッキオ工房での修業の後に未完の『東方三博士の礼拝』でデヴュー。1482/82年にミラノに活動の場を移し、ミラノ公スフォルツァの庇護を受ける。そして、『岩窟の聖母』、『最後の晩餐』を制作。
諸都市を巡った後にフィレンツェに1500年に戻り、未完成の『アンギアーリの戦い』、そして有名な『モナリザ』を制作。活動的な彼は更にミラノで『聖アンナと聖母子』を制作。ローマに招かれた後、フランソワ1世によりフランスに招聘され同国で没した。

[美と歴史]
DAME DE LA COUR DE MILAN
LA VIERGE AUX ROCHERS
BACCHUS

盛期ルネサンス

初期ルネサンスの流れを受けて、1480-1500年頃のフィレンツェで、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フラ・バルトロメオ、ラファエロ、ジョルジオーネらによる理想的人体表現、高度な運動表現によって幕を開ける。
ここに至って、古代美術の完全性を獲得したとされてきた。
時はローマ教皇ユリウスの領土的野心が神聖ローマ皇帝軍によるローマ劫掠(1527)によって打ち砕かれ、ローマ美術が半島はもちろんフランスへも拡がる時期へと移る。
1530年代のイタリア諸都市の君主制への転換による安定は古典主義的なルネサンスに幕を降ろした。

豊国神社唐門[国宝 S28.3]

四脚門、前後唐破風造側面入母屋造、檜皮葺。
豊臣秀吉を豊国大明神として祀る豊国神社は現在の智積院、妙法院そして三十三間堂までを含む広大な敷地を誇っていた。しかし、徳川幕府によって破壊され、太閤桐が浮き彫りされているこの唐門も二条城の門として移築されたと伝えられる。更に、南禅寺金地院に移され、明治維新の後、旧方広寺大仏殿跡地に現在の豊国神社が再興された際に、金地院から故地に戻ってきた。
写真では分かりにくいが、桃山文化の華麗な装飾が施されている。
京都市東山区
最寄り駅は京阪七条