ビザンティン美術

西ヨーロッパの文化の源であるローマと古代ギリシアの文化を受け継ぎ、ヨーロッパとアジアの接点としての地理的特性からオリエンタルな要素を色濃く持った独自の宗教的美術様式を1000年の長きにわたって保ち続けたビザンティン帝国。東方からはヘレニズム美術、ササン朝ペルシアの影響がある。なお、ビザンティンという名称は帝都の旧称によっている。
長らく大きな変化がなかったとはいえ、ビザンティン美術はおよそ3つの時代に区分される。
第1は、ユスティニアヌス朝( Justinian dynasty )を創始したユスティニアヌス帝(在位527-565)の時代。第1次黄金時代と呼ばれる。
この時代を代表するのは円蓋式バシリカという様式を確立したハギア・ソフィア大聖堂。これは、西の木骨天井のバシリカ式と東の円蓋式の融合の結果でもある。
教会内部は左右対称、かつ正面向きの静的像とキリスト教的な象徴図像を特色とするイコンで彩られた。
第1次黄金時代は730年の皇帝レオ3世による聖像禁止令を端緒とするイコノクラスム(聖画像破壊運動)で大きな打撃を被る。
そして、843年にイコンが再び肯定された後も大きな動きはなく、基本的にはユスティニアヌス帝時代の様式をひたすら守り抜いていく。
第2は、マケドニア朝( Macedonian dynasty )時代に始まったマケドニア・ルネサンス( Macedonian Renaissance )。
マケドニア朝はヨーロッパは西ローマ帝国崩壊以後混乱の続いていたイタリア南部を制圧し、スラブ諸国、メソポタミアへも版図を広げ政治的な黄金時代を築いた。
そして、この第2次黄金時代とよばれたマケドニア・ルネサンス時代はヘレニズム美術への回帰現象が起こり擬古典的な趣きが強くなる。それが、ルネサンスと呼ばれる所以である。こうした傾向は続くコムネノス朝( Comnenan dynasty )時代にも受け継がれる。
この時代はセルジューク朝トルコ(1077-1308)の侵攻と1204年の第4次十字軍によるラテン帝国建設(1204-61)によって大打撃を受けたことで終焉を迎える。
第3は、後期ビザンティン美術様式と呼ばれる時代。パレオロゴス朝( Palaeologan Dynasty )の時代である。この時代の美術は写実性と典雅を特徴とする。その写実性ゆえに、この時代もパレオロゴス・ルネサンスとルネサンスという名を冠して呼ばれる。
現在、残っている写本の多くはパレオロゴス・ルネサンス時代のもの。
そして、マケドニア・ルネサンスがイタリアに大きな影響を与えたように、パレオロゴス・ルネサンスはビザンティン帝国滅亡後にギリシアはもとよりスラブ諸国の美術に大きな影響を及ぼし続けた。

テオドシウス朝 Theodosian dynasty 395-457
■アルカディウス(395-408)
■テオドシウス2世(408-450)
■マルキアヌス(450-457)

レオ朝 Dynasty of Leo 457-518
■レオ1世(457-474)
■レオ2世(474)
■ゼノン(474-475,476-491)
■バシリスカス(475-476)
■ゼノン(復位)(474-475,476-491)
■アナスタシウス(491-518)

ユスティニアヌス朝 Justinian dynasty 518-610
■ユスティヌス1世(518-527)
■ユスティニアヌス1世(大帝)(527-565)
■ユスティヌス2世(565-578)
■ティベリウス2世(578-582)
■マウリキウス(582-602)
■フォカス(602-610)

ヘラクレイオス朝 Heraclian dynasty 610-718
■ヘラクレイオス1世(610-641)
■ヘラクレイオス・コンスタンティノス(コンスタンティノス3世)
ヘラクロナス(共治)(641)
■ヘラクレイオス・コンスタンティノス(641-668)
■コンスタンティノス4世(668-685)
■ユスティニアノス2世(685-695,705-711)
■レオンティウス(695-698)
■ティベリウス3世(698-705)
■ユスティニアノス2世(復位)(685-695,705-711)
■フィリピックス・パルダネス(711-713)
■アナスタシウス2世(713-715)
■テオドシウス3世(715-717)

イサウリア朝 Isaurian dynasty 718-867
■レオーン3世(717-741)
■コンスタンティノス5世(741-775)
■レオ4世(775-780)
■コンスタンティヌス6世(780-797)
■エイレーネー女帝(797-802)
■ニケフォルス1世(802-811)
■スタウラキウス(811)
■ミカエル1世ランガーペ(811-813)
■レオ5世(813-820)

アモリア朝 Amorian dynasty 820-867
■ミカエル2世(820-829)
■テオフィルス(829-842)
■ミカエル3世(842-867)

マケドニア朝 Macedonian dynasty 867-1057
■バシリウス1世(867-886)
■レオ6世(886-912)
■アレクサンデル(912-913)
■コンスタンティノス7世(913-959)
■ロマノス1世(共治)(920-944)
■ロマノス2世(959-963)
■ニケフォロス2世フォカス(963-969)
■ヨハネス1世ツィミスケス(969-976)
■バシレイオス2世(976-1025)
■コンスタンティヌス8世(1025-28)
■ロマノス3世アルギュロス(1028-34)
■ミカエル4世(1034-41)
■ミカエル5世(1041-42)
■ゾエ(1042)、テオドラ(1042,1055-56)
■コンスタンティヌス9世(1042-55)
■テオドラ(復位)(1042,1055-56)
■ミカエル6世(1056-57)
■イサキオス1世コムネノス(1057-59)
■コンスタンティヌス10世ドゥカス(1059-67)
■ロマヌス4世ディオゲネス(1067-71)
■ミカエル7世(1071-78)
■ニケフォロス3世ボタネイアテス(1078-81)

コムネノス朝 Comnenan dynasty 1081-1185
■アレクシオス1世コムネノス(1081-1118)
■ヨハネス2世コムネノス(1118-43)
■マヌエル1世コムネノス(1143-80)
■アレクシオス2世コムネノス(1180-83)
■アンドロニコス1世コムネノス(1183-85)

アンゲロス朝 Angelan dynasty 1185-1204
■イサキオス2世アンゲロス(1185-95,1203-04)
■アレクシオス3世(1195-1203)
■イサキオス2世アンゲロス(復位)(1185-95,1203-04)
アレクシオス4世(共治)(1203-04)
■アレクシオス5世(1204)
■コンスタンティノス11世ラスカリス(1204))

ニケーア帝国/ラスカリス朝 Empire of Nicaea/Lascaran dynasty 1204-1261
■テオドロス1世ラスカリス(1204-22)
■ヨハネス3世(1222-54)
■テオドロス2世(1254-58)
■ヨハネス4世(1258-61)
■ミカエル8世パレオロゴス(1259-82)

パレオロゴス朝 Palaeologan Dynasty 1261-1453
■ミカエル8世パレオロゴス(1259-82)
■アンドロニコス2世(1282-1328)
■ミカエル9世(共治)(1295-1320)
■アンドロニコス3世(1328-41)
■ヨハネス5世(1341-76,1379-91)
■ヨハネス6世(1347-54)
■アンドロニコス4世(1376-79)
■ヨハネス5世(復位)(1341-76,1379-91)
■ヨハネス7世(1390)
■マヌエル2世パレオロゴス(1391-1425)
■ヨハネス8世(1425-48)
■コンスタンティノス12世パレオロゴス(1448-1453)

ブルガリア捕虜となった東ローマ皇帝ニケフォルスを題材としたマナセス年代記