大戸神社(川崎_武蔵)

JR南武線の武蔵中原駅の西口からすぐのところに鎮座。
永正11(1514)年に信濃国戸隠神社を勧請し下小田中村の守護としたという。





女躰神社(川崎_武蔵)

創建年代は永禄年間(1558-1570)とされ、多摩川の氾濫に悩まされる村人を人柱となって救った女性を祀り、大女様とも女躰権現とも呼ばれてきた。
南河原村の真言宗宝厳院が別当として管理。
この女性を伊邪那美命と見立てたのだろうか。伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大神、建御名方神、そして誉田別命を祀る。
創造の神を祀る境内には幼稚園があるというのが似つかわしい。





御穂神社(芝_都)

藤原(萬里小路)藤房卿を祀る。
南北朝の動乱期、後村上帝の治世に都を離れて遠く東国の漁村に下ったという藤房卿の生前の威徳を称えて芝の人々が卿を祀ったという古社。
ひっそりとビルの谷間の路地の奥に鎮座している。道を行き交う人の中でどの程度の人が足を運ぶだろうか。気付くのだろうか。

御田八幡神社(三田_都)

和同2(709)年に、牟佐志国牧岡に東国鎮護の神として創建。当初は延喜式内稗田神社。
寛弘8(1011)年に武蔵国御田郷久保三田の地に遷座。嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇され、「綱八幡」と呼ばれた。
江戸開府の際に現社地に遷座。更に明治7(1874)年に三田八幡神社と改称。明治30(1897)年に三田を御田という旧名にし御田八幡神社として現在に至る。



春日神社(三田_都)

村上帝の治世の天徳2(958)年に、藤原正房が武蔵国の国司として任国の折、三田蒟蒻山邸内に氏神である奈良三笠山の春日神社を勧請したのが始まり。
その後、天文5年に芝三田に遷座。





鹿嶋神社(芝_都)

武甕槌命を祀る田町駅のすぐ横に鎮座する神社。
かつて、この辺りは海辺だった頃に神殿が浜辺に流れ着いたのを祀ったのが始まりという。打ち上げられた時は由来が定かではなかったが、後に常陸国の人が神殿を探して芝の地に立ち寄り常陸国の鹿嶋神宮の1柱が流出したものだとして持ち帰った。
しかし、後日、再び同所に流れ着いたために、芝の地に祀ったという。