新川大明神宮(都)

伊勢神宮内宮の社僧慶光院比丘尼が寛永年間(1624-1643)に敷地内に伊勢神宮内外神宮を勧請したことに始まる。
この社の前の通り、霊巖島の北寄りには新川と呼ばれる運河が流れていた。
明暦3(1657)年正月18日の「振り袖の火事」で霊巖島が焼ける。復興工事を請負い財産を蓄え、境内に屋敷を構えていた伊勢度会郡東宮出身の土木事業家河村瑞賢は、万治2(1659)年に霊巖島が深川に移転すると新川開鑿を請負った。これが新川の誕生である。
この「振り袖の火事」で代官町(竹橋-英国大使館)に鎮座していた新川大神宮は霊巖島に移転する。
そして、新川沿岸に栄えた酒問屋の信仰を集めるに至る。
しかし、第二次世界大戦で新川大神宮は被災。新川も戦後に埋め立てられた。
その後、昭和27年に酒問屋などによって現在の社殿が再建された。