上杉本洛中洛外図屏風

狩野派の代表的な画人である狩野永徳[天文12.01.13〔1543.02.16〕 - 天正18.09.14〔1590.10.12〕]の作品。

本部分は、上杉本洛中洛外図屏風の右隻第一扇上部に描かれた、京都東山南部の寺院景観である。右隻は京都の下京を手前に置き、その東側から南東側にかけて東山の寺社を描く構成となっている。この画面は、町家が密集する市街地とは異なり、樹木の中に寺院の建物が点在する山辺の景観として描かれている。

この部分については、特に泉涌寺周辺に比定するのが有力である。泉涌寺は東山の山腹に広い寺域を持ち、中心となる伽藍だけでなく、多数の塔頭や堂舎が山内に展開する寺院である。画面に見える、樹木に囲まれた複数の建物が配置された景観は、このような東山の寺院地域の特徴とよく対応する。

画面中央には、灰色の大きな屋根を持つ堂舎が描かれている。その周囲には小規模な建物が配置され、さらに画面下部から右側にかけても堂舎や門とみられる建物が続いている。このため、ここに描かれているのは単独の建築物ではなく、複数の建物から構成された寺院境内と考えるのが自然である。

建物の周囲には樹木が密集している。特に中央の堂舎の背後には大きな樹木が連なり、建物と自然が一体となった景観が形成されている。また、堂舎の前後には人物も描かれており、寺院が単なる建築物の集合ではなく、人々が訪れる宗教空間として表現されていることが分かる。

ただし、画面中央の堂舎を現在の泉涌寺に残る特定の建物と断定することはできない。上杉本が描かれたのは16世紀であり、現在の泉涌寺には後世に再建された建物も多いからである。したがって、建物の外観だけを現在の伽藍と比較して、特定の堂舎に当てはめることには慎重である必要がある。

また、この地域には泉涌寺のほか、東福寺などの大寺院も存在していた。上杉本右隻には東福寺も描かれているため、この切り取られた部分だけから、中央の堂舎を泉涌寺の特定建築物であると断定することは難しい。しかし、画面全体の位置関係と、山林の中に堂舎が点在する景観を考慮すると、東山南部、特に泉涌寺を中心とする寺院地域とみるのが有力である。

この場面の特徴は、寺院建築だけではなく、堂舎、門、樹木、道、人々を一体の景観として描いている点にある。上杉本洛中洛外図屏風では、京都市中の町家が密集した都市景観から東山の山辺へ移るにつれて、建物の密度が低くなり、寺社と樹木が入り交じる景観へと変化していく。この図は、そうした16世紀の京都東山の寺院地域を具体的に示す一場面なのである。

参照:


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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