日本列島における美術の起源は, 旧石器時代にまで遡る.打製石器や装身具の出現は, 人類が単なる生存のための道具製作を超えて, 形態や象徴に対する意識を持ち始めたことを示すものである.続く縄文時代[約1万6000年前–前300年頃]においては, 世界最古級の土器文化が高度に発達し, とりわけ火焔型土器[新潟県・信濃川流域を中心とする縄文中期, 前3000–前2000年頃]に代表される装飾的造形は, 実用性を超えた強い美的意識を示している.また, 土偶は人体[特に女性の身体]を抽象化した造形として呪術的・宗教的機能を担ったと考えられ, 生命や豊穣・再生に関する観念の視覚的表現であった可能性が高い.縄文晩期の遮光器土偶[青森県亀ヶ岡遺跡]はその代表例として知られる.これらの造形は, 自然との共生の中で形成された世界観を反映するものであり, 日本美術の原初的基層をなすものである.
弥生時代[前3世紀頃–3世紀頃]においては, 大陸からの技術導入により金属器文化と新たな土器文化が並行して発展した.銅鐸・銅鏡・銅剣・銅矛などの青銅祭器が製作され, 共同体の統合や権威の象徴として機能したと考えられる.銅鐸には流水文・動物文・農耕場面などの線刻文様が施されており, 当時の世界観や社会的営みを伝える図像資料としても重要である.造形は縄文時代の奔放な装飾性に比して簡潔かつ秩序的であり, 農耕社会への移行に伴う社会構造の変化を反映している.
古墳時代[3世紀後半–7世紀頃]に入ると, 巨大な前方後円墳の築造とともに埴輪が発達する.人物・動物・家・船・器財など多様な形態をとる埴輪は, 死者の霊を慰め葬送儀礼を担う存在であると同時に, 当時の社会・生活・服飾の具体像を伝える重要な造形資料である.また, 古墳内部の石室壁面には装飾古墳[熊本県装飾古墳群・福岡県王塚古墳など]に見られるような幾何学文様や人物・船の絵画的表現も残されており, 絵画の萌芽として注目される.副葬品としての装飾品や武具には高度な金工・玉作り技術が見られ, 支配層の権威を視覚的に示す役割を担っていた.
6世紀半ばの仏教公伝[538年または552年]は, 日本美術史における決定的転換点である.飛鳥時代には大陸からの渡来工人の技術を受けた仏像や寺院建築が成立し, 特に法隆寺に代表される木造建築と仏教彫刻は高度な技術水準を示す.法隆寺金堂の釈迦三尊像[623年, 止利仏師作]は飛鳥彫刻の代表作であり, 北魏様式の影響を受けたアルカイック・スマイル[古拙の笑み]と正面性の強い表現を特徴とする.様式的には北魏・隋・唐の影響を受けつつも, 次第に日本的な柔和さを帯びるようになる.
奈良時代[710–794年]には国家主導のもとで仏教文化が隆盛し, 聖武天皇の発願による東大寺大仏[盧舎那仏, 752年開眼]に象徴される大規模造営が行われた.彫刻においては, 乾漆造・塑造など多様な技法が発達し, 興福寺阿修羅像[734年頃]に代表される天平彫刻は理想化された人体表現と精神的内面性を両立させた到達点として知られる.
また, 唐招提寺鑑真和上像は肖像彫刻の最古の傑作の一つとして重要である.正倉院に伝わる工芸品はシルクロードを通じた国際的文化交流の成果を示し, 日本美術が広域的文脈の中に位置づけられることを示している.この時代には絵画においても, 法隆寺金堂壁画[飛鳥時代, 1949年に火災で大半焼損]や薬師寺吉祥天像など, 仏教絵画の重要作が生み出された.
平安時代[794–1185年]においては, 9世紀の遣唐使停止以降, 国風文化が成熟し, 日本独自の美術様式が形成された.仏教美術においては, 空海・最澄がもたらした密教の影響を受けた両界曼荼羅や明王像・菩薩像が制作され, 宇宙観や救済観を視覚的に体系化した.密教彫刻では神護寺薬師如来像に見られる量感ある翻波式衣文が特徴的であり, 後期には定朝による寄木造[よせぎづくり]技法の完成によって, 平明で柔和な和様彫刻が確立された.定朝作の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像[1053年]はその頂点として位置づけられる.
一方, 貴族文化の中で発展したやまと絵は, 物語や四季の情景を叙情的に表現し, 絵巻物として高度な物語表現を達成した.藤原時代[平安後期]に制作された『源氏物語絵巻』[12世紀初頭]は, 「引目鈎鼻[ひきめかぎはな]」と呼ばれる定型的人物表現と「吹抜屋台[ふきぬきやたい]」による室内空間の俯瞰描写を特徴とし, 時間の推移や心理描写を巧みに表現する日本独自の視覚言語を確立している.また仮名文字の成立により, 書も美術の重要な一領域として発展した.
武士階級の台頭とともに, 美術はより写実的かつ力強い表現へと変化する.鎌倉時代[1185–1333年]の仏像彫刻は, 運慶・快慶に代表される慶派の活躍により, 人体の量感や動勢を強調した写実的表現を実現した.東大寺南大門金剛力士像[1203年, 運慶・快慶ら合作]はその代表作であり, 動的な体勢と精緻な衣文表現において鎌倉彫刻の到達点を示す.肖像彫刻においても運慶作と伝わる無著・世親像[興福寺]が高い写実性を示し, 個人の精神的内面を捉えた肖像表現が発達した.
禅宗の伝来に伴い, 水墨画・頂相[禅僧の肖像画]・禅的美意識が広がり, 簡潔で精神性を重視する表現が重んじられるようになる.絵巻においても, 『鳥獣人物戯画』[平安末–鎌倉]や『一遍聖絵』[鎌倉後期]に見られるように, 戦乱・庶民生活・宗教的場面を描く作品が増加し, 社会の多様な側面が視覚化された.
室町時代[1336–1573年]には, 禅文化の影響のもとで水墨画が発展し, 如拙・周文を経て雪舟[1420–1506年]に代表される画家が中国[宋・元・明]の水墨画様式を深く受容しつつ, 日本の風土と感性に根ざした独自の境地を切り開いた.雪舟の『秋冬山水図』『天橋立図』などは, 日本水墨画の頂点として位置づけられる.
また, 書院造建築の成立に伴い, 障壁画・枯山水庭園・床の間の飾りつけなど, 建築と美術が一体となった空間美学が高度に洗練された.竜安寺石庭に代表される枯山水は, 砂と石のみで宇宙的景観を表象する禅的美意識の結晶である.
桃山時代[1573–1615年頃]には, 戦国大名・豊臣政権の権力を背景に, 狩野永徳・狩野山楽ら狩野派による金碧障壁画が隆盛し, 豪壮華麗な装飾性が特徴となった.安土城・大坂城などの障壁画はその代表であるが多くが失われており, 現存する例としては京都・妙心寺や智積院の障壁画が重要である.
一方, 千利休[1522–1591年]による茶の湯の大成に伴い, わび・さびの美意識が確立され, 茶碗・茶入・茶室建築など「用の美」を問う新たな審美眼が育まれた.楽茶碗や志野・織部などの茶陶は, この時代に生み出された独自の陶芸美の所産である.
江戸時代[1603–1868年]には, 安定した都市文化の発展とともに多様な美術が展開した.俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一らによって形成された琳派は, 金銀箔を用いた装飾的画面と大胆な構図により, 日本的装飾美の一頂点を示した.光琳の『燕子花図屏風』『紅白梅図屏風』はその代表作として世界的に知られる.
浮世絵は, 菱川師宣による確立以降, 鈴木春信・喜多川歌麿・東洲斎写楽・葛飾北斎・歌川広重らを経て多彩な展開を見せた.庶民の生活・風俗・美人画・役者絵・風景画などを題材とし, 多色摺木版画[錦絵]の技術によって大量生産・広域流通を実現した.北斎の『富嶽三十六景』[1831–1834年頃]・広重の『東海道五十三次』[1833–1834年]は, 後年のヨーロッパ印象派・ポスト印象派[ジャポニスム]に決定的な影響を与えた.
円山応挙に始まる円山・四条派は写生を基本とする写実的表現を確立し, 伊藤若冲・曾我蕭白らは奇想的・実験的な表現で江戸絵画の多様性を示した.また, 江戸後期には文人画[南画]が発展し, 池大雅・与謝蕪村らが中国文人画を受容しつつ日本的解釈を加えた.工芸においても, 有田焼[伊万里焼]・九谷焼などの磁器, 漆工芸・金工など各分野で高い技術水準が達成された.
明治維新[1868年]以降, 西洋文化の急速な流入により日本美術は大きな転換を迎える.工部美術学校[1876年設立]へのフォンタネージ招聘など, 政府主導による洋画教育が始まり, 遠近法・陰影法・油彩技法が普及した.一方, アーネスト・フェノロサと岡倉天心は伝統美術の再評価を主導し, 東京美術学校[1887年設立]を拠点として日本画の近代的再編を推進した.天心の影響を受けた横山大観・菱田春草らは「朦朧体」と呼ばれる没線描法を試み, 日本画における新たな表現を模索した.
明治後期から大正期には, 黒田清輝がフランス留学で習得した外光派的洋画様式を持ち帰り, 明治洋画の主流を形成した.大正期には個人主義的・表現主義的傾向が強まり, 岸田劉生・村山槐多らの活動に見られるように多様な前衛的試みが展開した.また, 民藝運動[柳宗悦・濱田庄司・河井寛次郎ら]が1920年代後半に起こり, 無名の職人による日用工芸品の美的価値を再発見・再定義した.昭和初期には二科会・独立美術協会などの団体展を通じて前衛的洋画が展開する一方, 帝展・日展系の官展も並立し, 近代的美術制度の多元的展開が見られた.
第二次世界大戦後, 日本美術は国際的文脈の中で再出発した.1954年に大阪で結成された具体美術協会[吉原治良主宰]は, 身体・物質・行為を前面に出した実験的表現によって従来の美術概念を根本的に拡張し, 後のパフォーマンス・アートやインスタレーション・アートの先駆として国際的に再評価されている.1960年代には読売アンデパンダン展を舞台とした前衛美術の展開や, 反芸術的傾向を示す「もの派」[関根伸夫・李禹煥ら, 1960年代末–1970年代]が登場し, 物と空間の関係性を問う独自の思想的立場を示した.
1970年代以降は, 宮島達男・杉本博司・草間彌生・村上隆・奈良美智らが国際的評価を確立し, 日本現代美術はグローバルな芸術動向と活発に相互作用するようになった.村上隆の「スーパーフラット」概念は, 日本のポップカルチャー・漫画・アニメと美術の関係を理論化したものとして世界的な反響を呼んだ.伝統と革新の交錯の中で, 日本美術は固有の美意識を保ちながら現代的展開を続けている.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.