ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠

フランスの新古典主義を代表する画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David:1748-08-30 – 1825-12-29)による1805年から1807年に掛けての作品。

1804年12月2日にパリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオン1世の戴冠式を題材とした歴史画。原題は "Le Sacre de l’empereur Napoléon Ier et le couronnement de l’impératrice Joséphine dans la cathédrale Notre-Dame de Paris, le 2 décembre 1804"。なお原題は、教皇による塗油を伴うナポレオンの儀礼には sacre、皇妃ジョゼフィーヌに対してはより一般的な戴冠を意味する couronnement という異なる語をあてており、両者の儀礼上の性格の違いを示している。

制作は1804年9月ごろにナポレオンから口頭で依頼され、ダヴィッドは1805年12月21日、パリのソルボンヌ近くにあった旧クリュニー学院の礼拝堂に設けた工房で本格的に制作を開始。弟子のジョルジュ・ルジェの助力を得て1807年11月に完成し、1808年初頭にさらに加筆修正が施された。1808年2月から3月にかけてルーヴルで単独展示された後、1810年には帝政期の美術顕彰制度であるコンクール・デセナルにも出品されている。油彩による巨大な作品で、縦6.21メートル、横9.79メートルに達する。現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されている。

作品の題材となった戴冠式は、フランス革命後の政治秩序が大きく転換したことを象徴する出来事である。ナポレオンは1799年のクーデターによって政権を掌握して第一統領となり、1804年5月に元老院からフランス皇帝に推挙された。同年12月2日、ローマ教皇ピウス7世をパリに迎え、ノートルダム大聖堂において皇帝としての戴冠式を挙行した。この儀式には、カトリック教会の宗教的権威、フランス王政以来の儀礼、古代ローマの皇帝像、そしてナポレオンが新たに築いた帝国の制度が組み合わされていた。

前景には、白を基調とした豪華な法衣をまとった高位聖職者が大きく描かれている。白い衣服には金色を中心とする装飾が施され、胸元には宗教的な徽章が見える。手には長い杖状の儀礼具を持ち、頭部には高位聖職者であることを示す装飾的な冠が見える。この人物は画面の中で非常に大きく描かれており、周囲の人物よりも前方に位置することによって、鑑賞者の視線を引きつける役割を担っている。

その周囲には、赤や白の法衣をまとった聖職者たちが密集している。人物は一様な群像として処理されるのではなく、それぞれ異なる顔立ちや年齢、姿勢を与えられている。前方を向く人物、横を向く人物、奥を見つめる人物が入り交じり、巨大な宗教儀礼の場に多数の聖職者が集まっている様子が表現されている。

とりわけ目を引くのが、赤色を基調とする法衣と、金色の刺繍や装飾である。赤は枢機卿など高位聖職者の衣装に用いられる色であり、白や金と組み合わされることによって、宗教的権威と儀礼の華麗さを強調している。さらに、人物の手に持たれた杖や十字架などの宗教的な道具が画面の縦方向の線を形成し、人物が密集した構図に秩序を与えている。

この聖職者たちの背後には、ノートルダム大聖堂内部の装飾が見える。中央付近には金色の装飾を施した祭壇周辺の構造物があり、その上部や周囲には彫刻的な装飾が重ねられている。ダヴィッドは実際の大聖堂内部をそのまま描いたのではなく、戴冠式を荘厳に見せるために、建築や装飾を一種の舞台装置のように構成している。

実際のノートルダム大聖堂は中世ゴシック建築であるが、戴冠式の際には内部に大量の装飾や布地、仮設的な装置が設けられた。ダヴィッドはこうした装飾をさらに整理し、人物群と建築物が一体となった壮大な空間として画面を構成した。そのため、作品を見ると、現実の教会内部というよりも、皇帝の権威を演出するために設けられた巨大な儀礼空間として感じられる。

この部分で重要なのは、宗教的な人物と世俗的な人物が同じ画面の中に配置されていることである。ナポレオンの戴冠は、単なる政治的な就任式ではなかった。カトリック教会の儀礼を取り入れることによって、皇帝の地位を宗教的にも荘厳なものとして示す必要があったのである。教皇ピウス7世がパリまで赴いて式典に臨席したことは、その象徴的な意味を持っていた。

もっとも、ナポレオンと教皇の関係は単純なものではなかった。ナポレオンは教皇の宗教的権威を利用しながらも、皇帝としての政治的権威が教皇から与えられる形になることは避けようとした。実際の式典では、ナポレオン自身が皇帝冠を頭に載せ、その後にジョゼフィーヌへ冠を授けている。したがって、戴冠式における宗教的儀礼は、ナポレオンが教会の支配下に入ることを意味するものではなく、むしろ帝国の政治権力とカトリックの宗教的権威を結び付けながら、その中心に皇帝を置くための儀礼であった。

ダヴィッドの作品では、この複雑な関係が人物配置によって表現されている。作品全体ではナポレオンが画面中央に立ち、その背後に教皇が配置される。教皇は皇帝に冠を授ける人物としてではなく、皇帝の行為を祝福する人物として描かれている。周囲には枢機卿や司教などの高位聖職者が並び、宗教的権威の存在を明確に示している。今回の部分図に見える聖職者たちは、まさにこの宗教的権威を構成する人物群である。作品には、当時の実在人物が多数登場する。ナポレオン、ジョゼフィーヌ、教皇ピウス7世をはじめ、皇族、元帥、政府高官、外交官、聖職者などが描かれており、単なる歴史上の一場面ではなく、ナポレオン帝国を構成した人物たちを一つの画面に集めた巨大な集団肖像画となっている。聖職者の中にはナポレオンの叔父であるジョゼフ・フェシュ枢機卿も含まれている。フェシュはナポレオン政権下で重要な宗教的地位を占め、帝国とカトリック教会との関係を象徴する人物の一人であった。

ただし、ダヴィッドは式典の様子を機械的に記録したわけではない。実際の式典に出席していなかった人物まで描き込まれており、人物の配置も実際の位置から変更されている。ナポレオンの母レティツィア・ボナパルトは実際には戴冠式を欠席していたにもかかわらず、作品では重要な位置に描かれている。このような変更は、絵画を単なる記録ではなく、ナポレオン帝国の公式的な歴史像として成立させるためのものであった。

ダヴィッドは、人物一人ひとりの衣装や持ち物を細密に描くことによって、画面の中に身分制度を視覚化している。聖職者は法衣や司教冠、司教杖などによって識別され、軍人は軍装や儀礼用の武器によって区別され、皇族や宮廷人は豪華な衣装によって表現される。このため、作品全体は単に「戴冠式の場面」を描いたものではなく、ナポレオン帝国を支える政治的・軍事的・宗教的な諸勢力を一つの空間に配置した構成となっている。色彩の対比も、この部分の大きな特徴である。前景の白い法衣は、周囲の暗い衣服や赤い法衣の中で鮮明に浮かび上がっている。赤、白、金、黒、茶などの色彩が重なり合い、人物の衣装そのものが画面の装飾となっている。特に金色は、聖職者の衣装だけでなく、建築装飾や儀礼用具にも用いられており、宗教的な荘厳さと帝国的な豪華さを同時に表現している。

また、ダヴィッドは人物を前景、中景、後景に段階的に配置している。前景には大きな人物を置き、その後ろに複数の人物を重ね、さらにその背後に建築や装飾を置くことで、平面的な群像ではなく奥行きのある空間を作り出している。今回の部分図では、この構成が特に分かりやすい。前景の聖職者が大きく描かれている一方、その背後には次々と人物が重なり、さらにその奥に祭壇周辺の装飾が続いている。

このような構成は、ダヴィッドが新古典主義の画家として培った明快な構図法と、帝政期の宮廷絵画に求められた華麗さを結び付けたものである。革命期のダヴィッドは古代ローマやギリシアを題材とし、厳格な線描と簡潔な構図によって英雄的な人物を描いた。しかしナポレオン時代になると、歴史画の中に現代の宮廷儀礼、豪華な衣装、宗教的装飾などを取り込み、現実の政治権力を壮大な視覚表現へと変えたと言えるだろう。


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

INDEX





















- - - -