上杉本洛中洛外図屏風

狩野派の代表的な画人である狩野永徳[天文12.01.13〔1543.02.16〕 - 天正18.09.14〔1590.10.12〕]の作品。

本図は、狩野永徳筆と伝わる国宝「上杉本洛中洛外図屏風」の一部にあたる。同屏風は天正2(1574)年に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられ、以後米沢藩上杉家に伝来したことから「上杉本」と呼ばれる。六曲一双のうち、上京の景観を描く隻には公方邸(将軍邸)や管領邸をはじめとする武家屋敷群、金閣寺・相国寺などの名所が大きく配されており、本図はその一部、戦国時代の京都の北端にあたる一条通周辺の景観を描いた場面と見られる。

画面最上部には一条通に沿って流れる中川が描かれており、そこにかかる小さな橋を多くの馬や人々が慌ただしく行き交う様子が確認できる。中川の南側、すなわち画面右下の一帯は新町通の界隈にあたり、当時の京都の町衆たちが生活を営んでいた板葺き屋根の町家が連なっている。さらに画面の左下部分に目を向けると、金雲の合間から鮮やかな赤い鳥居と黒い屋根を覗かせる社殿が佇んでいる。これは上京に所在した上御霊神社の御旅所と考えられており、同時代に制作された他の初期洛中洛外図(国立歴史民俗博物館蔵「歴博甲本」)でも同じ位置に同じ社殿が描かれていることが確認されており、上杉本における描写の正確さを裏付ける一例となっている。その境内や周囲の道には参拝に訪れた人々の姿が細かに描き込まれており、室町時代から戦国時代における京都のリアルな街並みと、そこで生きる人々の賑わいが一つの空間に集約されている。

こうした細部の正確さは、上杉本洛中洛外図屏風全体の特徴でもある。屏風全体にはおよそ2,500人もの人物が身分や職業を問わず描き込まれており、地名や施設名の書き込みも多く、その多くが現在の京都の地割にも痕跡をとどめている点で、美術作品としてだけでなく戦国期京都の都市景観を伝える貴重な歴史資料としても高く評価されている。

参照:


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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