補陀落山観音

最後の文人画家と謳われた富岡鉄斎(1837-01-25[天保7-12-19] – 1924[大正13]-12-31)の作品。

東京国立近代美術館所蔵の画帖『亦復一楽帖(またまたいちらくじょう)』に収められた一葉「補陀落山観音」。

富岡鉄斎は、京都の法衣商の家に生まれ、幼少より石門心学・国学・儒学・陽明学を学び、のちに南画(中国文人画の系譜を引く画法)を基礎に大和絵・狩野派・琳派・大津絵など和漢の諸様式を独学で摂取した、明治・大正期を代表する文人画家である。「最後の文人画家」と称されるが、本人は生涯を通じて自らを画家である以上に儒者(学者)と任じ、絵画制作は余技であると考えていた。「意味のない絵は描かない」「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」という言葉を残したことでも知られ、彼の作品の多くには制作の由来や典拠を記した長文の画賛が添えられている。

「補陀落山観音」が収められた『亦復一楽帖』は、その名称が示す通り、一幅完結の作品ではなく、複数の画題を集めた画帖(アルバム形式の作品集)の一葉である。画帖という形式は、鑑賞者が一葉ずつめくりながら異なる主題・筆致を味わうことを前提としており、単独の掛軸とは異なる鑑賞のリズムを持つ。「補陀落山観音」もまた、帖全体を構成する多様な画題(故事人物、山水、花鳥など)の中の一場面として位置づけられており、他の葉との対比や連関のなかで意味を持つ可能性が高い。

主題である補陀落山(普陀落山、中国浙江省沖の普陀山)は、観世音菩薩の住処とされる仏教の聖地であり、中国仏教の四大名山の一つに数えられる。唐代以降、観音信仰の聖地として篤く崇敬され、日本においても中世以降、熊野などを起点として補陀落浄土を目指し船出する「補陀落渡海」の信仰が広まり、観音浄土思想と結びついて独自の展開を見せた。観音菩薩を衆生救済の慈悲の体現者として説く経典としては『法華経』の観音経(普門品)がよく知られ、また普陀落山を観音の住処とする記述は『華厳経』(入法界品)に見える。

鉄斎の画風は、伝統的な皴法や墨の濃淡を駆使した筆致で山岳や岩石を表現し、樹木や建築の細部まで描き込みながらも、全体としては奔放で勢いのある筆勢が支配する点に特徴がある。西洋絵画の写実的な遠近法を積極的に取り入れることはなく、あくまで胸中に描いた「理想の山水」を表出することを主眼としていた。「良い絵を描くためには万巻の書を読み、万里の路を行く」という信条のもと、鉄斎は各地を旅して実景を研究しつつも、最終的には学識と精神性に裏打ちされた理想化された自然表現へと昇華させている。観音を描いた作品における自然は、写生ではなく精神世界の象徴として読み解かれることが多く、山は修行や悟りへの道程を、海は俗世と浄土を隔てる境界を、雲霧は現実と超越世界との間の揺らぎを示すものと解釈されうる。

こうした構成は、鉄斎が儒教・神道・仏教を対立するものではなく東洋精神文化を構成する一体的な知の体系として捉えていた思想とも響き合う。実際、鉄斎には儒・老・仏の三教一致の思想を主題とした『教祖渡海図』(1921年、東京国立近代美術館蔵)のような作品もあり、宗教・思想の枠を超えた普遍的な救済のイメージを繰り返し追求していたことがうかがえる。「補陀落山観音」もまた、観音信仰を単なる礼拝対象としてではなく、人間の精神的完成へ至る道として描き出そうとする、鉄斎の一貫した姿勢の表れと見ることができる。

参照:日本美術史


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

INDEX





















- - - -