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「日本の固有法は、大化の改新以降、唐の律令制度の影響を強く受けてきたが、その後は次第に固有法が復活し、中世から近世にかけて、わが国独自の法体系を形成してきた。」(木下 毅『アメリカ法入門・総論』) |
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592 - 628 |
『17条の憲法』:天皇への服従(3条)や衆議尊重(17条)・仏法僧崇敬(2条)など官人への道徳的訓戒を内容とした。 |
645 |
大化の改新。これ以降、日本は「固有法」の時代に別れを告げて、「中国継受(律令)法時代」へと入る。 |
668 |
日本最古の令である『近江令』が制定される。中臣鎌足らが中心となって編纂した、22巻からなる日本で最初の令。内容不詳。律は存在せず。 |
701
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『大宝律令』:律・令ともにそろった日本で最初の法典。刑部親王・藤原不比等が編纂に従事し、律(刑法)は6巻、令(民法・行政法)は11巻からなる。 |
718
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『養老律令』:施行は南家の藤原仲麻呂により758年から。この法典はその後長きにわたって使用されることになる。 |
10世紀中頃
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『本所法』:荘園を支配する権門独自の訴訟体系。
嵯峨天皇が『弘仁格式』、清和天皇が『貞観格式』、醍醐天皇が『延喜格式』を編纂。
『類聚三代格』
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1156(保元1) |
『保元の新制』:後白河上皇による一連の法制。国土における王権領有の宣言などを行う。 |
1191(建久2) |
『建久令』 |
1207(承元1) |
『裁判至要抄』:後鳥羽上皇の命令によって明法家坂上明基が撰進。民事に関して、社会状況に即した法解釈を行う。 |
1232(貞永1) |
『貞永式目(御成敗式目)』:北条泰時らによる鎌倉幕府の51ヵ条からなる基本法典。日本最初の武家法であり、頼朝依頼の先例および道理を成文化。但し、適用範囲は御家人であり本所法は並列的に存続した。この貞永式目第8条に「当知行二十ヵ年を経過すれば理非を論ぜず沙汰に及ばず(当知行年紀法)」が規定されるが、これは現行民法162条の取得時効の淵源となるものである(佐藤進一説)。 c.f.「弘長の新制(1261年)」 |
1284(弘安7) |
「弘安の徳政」実施さる。得宗時宗死後、鎌倉側安達泰盛と京都側亀山院により推進された公武政治改革。1年半の間に90余ヵ条の法令を制定し訴訟制度を整備した。 |
1336(建武3) |
『建武式目(追加法)』:『貞永式目』を本法とする法体系。売買貸借法が激増。足利尊氏に諮問に受けた二階堂(中原)是円らの答申をもとに制定。2項17ヵ条からなる。 |
戦国時代
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分国法:戦国大名による法典。
1479年 『朝倉英林壁記』 朝倉孝景による分国法。
1493年〜 『相良氏法度』 肥後の相良為続、長毎、晴広により制定。
1526年 『今川仮名目録』 今川氏親による分国法。1553年に義元により「追加」が制定。
1536年 『塵芥集』 伊達稙宗による171条からなる分国法。
1547年 『甲州法度之次第』 上下2巻からなる武田晴信による分国法。
天文20(1551)年 大館(徳山館、松前)の館主蠣崎季広が東部知内のチコモタイン首長と西部セタナイのハシタイン首長との間で、商船にかける税の一部を「夷役」として渡すことにより、交易分担と支配相互承認を定める『夷狄の商舶往来の法度』を交わし、1456年以来の和夷百年戦争を終結。
1556年 『結城家法度』 結城政勝による分国法。
1567年 『六角氏式目』 民事関係の規定、土地売買・債務関係の規定などからなる、六角義賢、義治による分国法。
1562〜73年 『新加制式』 阿波三好氏による分国法。
天正3(1575) 織田信長、『徳政の新法』公布。京都所司代村井貞勝の担当により、門跡、公家の債務を帳消しし、土地を返還させる。
天正18(1590) 豊臣秀吉が上杉景勝と真田昌幸に「東国の習」を禁止する『人身売買令』を発令。
天正19(1591) 『身分統制3ヵ条』公布。
文禄元(1592) 『海路諸法度』公布。借船契約、積荷損害、海難で荷を廃棄した場合の証明書である浦切手などについて旧記を集成したもの。
文禄4(1595)年 徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、宇喜田秀家、上杉景勝の6名が5ヵ条の御掟と9ヵ条の御掟追加に連署し、『大阪城中壁書』を公布。『大阪城中壁書』は大名間の婚姻を規制し、公家の政治介入を禁止するなど、その内容は江戸幕府の『禁中並公家諸法度』、『武家諸法度』に受け継がれる。
1596年 『長宗我部氏掟書』 長宗我部元親、盛親による分国法。
そのほか、『大内家壁書』、『吉川氏法度』が知られている。
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1615(元和1)〜 |
『武家諸法度』:13条からなる江戸幕府の諸大名統制法典。35(寛永12)年に家光により19条に拡張整備。83(天和3)年には綱吉の手により適用範囲を武家全体に拡張した。 |
1643(寛永20) |
江戸幕府が『田畑永代売買禁止令』を出す。 |
1648(慶安1) |
『江戸・大阪市中諸法度』が制定される。 |
1655(明暦1) |
鍋島勝茂、『鳥ノ子御帳』を完成。「江戸御普請中掟」14条などならなる藩政制度法。 |
1742(寛保2) |
『公事方御定書』:吉宗が命じ、老中松平乗邑が編纂した刑事判例集を中心とする基本法典。 |
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『熊本藩御刑法草書』、『弘前藩御刑法牒』、『和歌山藩国律』、『会津藩刑則』、『新発田藩新律』 |
1870(明治3) |
近代刑法である『新律綱領』が制定される。西洋刑法の影響はなく、御定書百箇条などを継承した刑法典(明治3[1870]年)。明治6(1873)年には改訂律例が制定される。
新律綱領と改定律例は現在の刑法に当たり、治罪法は現在の刑事訴訟法に当たる。 |
1882(明治15) |
罪刑法定主義を内容とする近代刑法『旧刑法』が施行される。 |
1889 |
『大日本帝国憲法』発布。@天皇主権、A議会制度、B大臣助言制、C権力分立、D臣民の権利を内容とした民主的要素と君主主権の要素が混在していた。 |
1890(明治23) |
旧民・商法典の公布。⇒法典論争が巻き起こる。この結果、旧商法典は1893年に一部施行されるに留まった。民法典論争では、ボアソナード起草の民法に対し、穂積八束は「民法出デテ忠孝亡ブ」として施行延期を主張し、断行派の梅謙次郎らとの間で激論を交わす。 |
1898(明治31) |
民法典施行。1896年公布の財産法(第一編から第三編)、1898年公布の家族法(第四、五編)が施行される。 |
1899(明治32) |
商法典成立。⇒商法改正の歴史 |
1908 |
1907年に制定された現行刑法が施行される。なお、同法は、平成7(1995)年に表記の平易化という全面改正を実施。 |
1946 |
『日本国憲法』公布。 ⇒ [現代法・英米法継受時代] |
1947 |
親族・相続を中心とする民法大改正。 |
1996(平成8) |
民事訴訟法全面改正。施行は平成10年1月。この改正は従前の基礎理論を変更するものではなく、その現代的展開を盛り込んだものとされる。 |
[飛鳥時代] [奈良時代] [平安時代] [鎌倉時代] [室町時代] [安土桃山時代] [江戸時代] |