『大宝律令』

 「日本で始めての律令というと、持統帝の689年に編纂したという22巻からなる『飛鳥浄御原令』が挙げられるわ。だけど、この『飛鳥浄御原令』は名前からもわかるように律令のうちの令だけ。」
 「正確にいうと、天武帝が編纂を開始したんだけどね。それは兎も角として、その前にも天智帝の『近江令』があったって言われてはいる。」
 「存在は疑わしいのよね。」
 「そう。それで、存在したと思われている『飛鳥浄御原令』だけど、令だけ。その意味で702年に施行された『大宝律令』が日本で始めての律令だね。文武帝が編纂を命じて、刑部親王を総裁として筆頭に、藤原不比等、伊余部馬養(明法家)、粟田真人らが実際の編纂作業に携わった。」
 「律令体制の輸入は大化の改新から本格的に始まったわけだけど、そうした律令体制の輸入の総仕上げというわけね。唐の『永徽律令』を模範として、個々の条文などはかなり似通ってはいるけど、まず700年に条文数約900からなる11巻28編からなる令が完成。続いて、701年には、これまた条文数500余りからなる6巻12編からなる律が完成する。」
 「この日本最初の『大宝律令』によって国家の官僚機構が整うことになるし、班田収受法で土地制度も大きく変わったよね。それまでは、土地の所有形式は氏の長者を中心とはしていても基本的には私有制だったから。まぁ、貧富の格差があったとはいえ、私有制が主体であった実情の下で公有制を打ち出したというところに既に内部矛盾が潜んでしまっているように思えるんだけど。」
 「それはそうだけど、ようやく国家と呼べるような機構体制を整えたという点に着目すべきね。ところで、律というのは現在でいうところの刑法にあたるわね。」
 「刑罰の体系は現行刑法の視点とは異なっていて、笞・杖・徒・流・死の五刑を定めていたり、帝に対するという視点で定められているよね。一見すると、今でいうところの人権保障を基にしたような条文もあって罪刑法定主義のようだけど、それはまぁ似て非なるといったほうが正確。そもそも、模範とした中国の律令が儒教思想と法家思想を基本としているからね。」
 「整理しておくと、律は刑法、令は民法・商法や行政法ということになるわよね。」
 「律令の本国である中国と、それを輸入した日本とでは意味するところが異なるという点は注意が必要だよ。そうしないと、中国の律令と日本の律令を比較検討するときなんかは混乱するから。」
 「それから、『大宝律令』は日本で初めての律令という点も重要だけど、『養老律令』が『大宝律令』に取って代わるまで、56年の長きにわたって基本法であったということはもっと重要ね。」
 「残念なことに、この『大宝律令』の原文はおろか写本まで散逸してしまっていて、その全体像は逸文などから推定するしかないわ。だけど、『養老律令』の注釈書の「令集解」や「続日本紀」などからも条文の一部を知ることができるのは救いといえるわね。」