金曜日, 10月 03, 2003

英国の「産業革命」と日本の「勤勉革命」

工業化はイギリスを中心とするヨーロッパにおいてばかり達成されたわけではなかった.それは,広大な海と遥かユーラシア大陸を隔てた極東の日本においても達成された.日本はアジア諸国の中においてはいち早く工業化を達成した.なぜ,ヨーロッパと極東の地が工業化への離陸/take offをいち早く成し遂げることが出来たのかについては,しばしばマックス・ウェーバーや大塚久雄の論説を以って両者に「プロテスタント的倹約の精神」(日本の場合は「儒教的精神」)があったことが挙げられてきた.しかし,特に東アジアにおいては「儒教的精神」を持っている地域は日本に限ったことではないし,朝鮮半島などは日本以上に「儒教的精神」を持ち合わせていることは言わずもがなである.強く影響を受けた文明も異なり,距離的にも遠く隔たったイギリスと日本を結びつけるキーワードはただ一つ文明の中心地からみて辺境の地であったということである.工業化への離陸の準備はこれらの辺境地域が文明の圧倒的な物産に直面してその国産化を図った過程とも捉えることができるだろう.もちろん,その内容は距離にも増して異なっていた.イギリスを発祥の地として,世界に遍く伝播していく「産業革命」は豊富な資本を投下する資本集約的なものであったのに対して,日本は逆に十分な労働を集中的に活用する労働集約的なものであった.この日本の労働集約的な経済への移行はイギリスの「産業革命」に対して「勤勉革命」と呼ばれている.