価値の源泉のシフト
通商産業省『21世紀型経済システム』(通商産業調査会、1993年)の一文を引いて次のような指摘がなされています(出所: 森永卓郎『日本の経済の復活 キーワードは消費』)。
「新製品の比率は1960年45.3%、1970年18.4%、1980年10.8%、1990年5.8%となったのだ。高度経済成長が始まった1960年、付加価値の半分近くが、過去10年間に登場した新製品だった。ところが、その後10年ごとに新製品比率は半減を繰り返して、1990年時点では5%台にまで激減しているのだ。残念ながら鉱工業生産指数の基準年がまだ1995年であるため、2000年時点の新製品比率を計算することはできないが、おそらく半減を続けて、3%前後になっているものと考えられる。
ただ1990年時点でさえ新製品比率が5%だということは、新製品の登場によって経済を拡大できる効果は、年当たりわずか0.5%になっていることを意味する。つまり、新製品を次々に開発して経済を引き上げていくというシナリオは、もはや完全に時代遅れ」
成長しなくなったから新製品が出ていないのでは。
という考えも出来そうです。
しかし、60年から90年まで一貫して低下しているというのは成長--->新製品という線を否定する材料になります。
通商産業省の分析での新製品の定義は次の通り。
これを新製品としてしまって良いのかという問題はありますが、公式統計の限界もあるので一先ずは置いておきます。
「447品目を対象として、1990年の付加価値ウエイトを製品の登場時期別に集計している。製品の登場時期は、鉱工業生産指数に品目が採用された時期」
そこで、仮説。
1次-->2次-->3次産業へと付加価値ウェイトが移って行くというのがクラークの法則。
これは、日本でも韓国でもあてはまっています。
その上で、
「作ってしまったモノ/サービスを売る」
ことから
「作りつつ売る」というかSCMの発展形のイメージのようなところに付加価値の源泉が移ってきているのではないかと。
消費で言うと「場の消費」。ラーメン博物館、ディスニーランド型消費。
B2Bのところで言えば将にSCMの延長線上(+商品開発のところまで[擬似]共同化)。
顧客に応じて様々なオプションを付けて売る(単一商品を売る場合は同時提供される「場」が異なる!)という意味で、多品種少量生産+低いコスト。
ちょっと分かりにくいのですが、
「作ってしまうこと」=「場」を製造プロセスのみで独占
「作り出すこと」」=「場」を供給と需要側で共有
ちょっと違いますが、そんなイメージです。
テンプレート化したモノ/モジュール化されたモノを売っても利益が出ない。
一方で、テンプレート化/モジュール化することで利益が上がる。
そういう具合に付加価値の源泉が移ってきているのではないでしょうか。
テンプレート化/モジュール化の方法論を売るのか、これを使って組み立てたものを売るのか、これを使って組み立てて売る機会/場を売るのかということになりそうですが、その視点でいうと、2番目と3番目の中間。
しかし、それは正確ではありません。
ベンダとユーザーの間でプロセスを共有した上でのテーラーメイドと言ったほうが良いでしょう。
あるいは、プロセスが法制上の1企業からはみ出ている状態。
IBMでいうところのエコシステム、マッキンゼーの新しいP(パートナリング)が相当します。
似ているけれども、決定的に違うのは価値プロセスが閉じたままでのパートナー関係。
本当に、その部分に付加価値の源泉が移ってきているのだとすると、一頃に喧伝されたインターネット革命が「革命」に値する局面にじわりと入りつつあると整理出来るでしょう。
歴史を紐解けば、18世紀の第一次産業革命も19世紀の第二次産業革命も蒸気機関、綿織物機械の発明と普及、動力機械の普及といったモノの登場自体ではなく、モノの登場に合わせて生産の仕組み、販売の仕組み、消費の仕組みが変化していったことで大きなインパクトをもたらしています。
インターネットやITだけは例外ということは有り得ないと考えるのが普通と言えます。
「新製品の比率は1960年45.3%、1970年18.4%、1980年10.8%、1990年5.8%となったのだ。高度経済成長が始まった1960年、付加価値の半分近くが、過去10年間に登場した新製品だった。ところが、その後10年ごとに新製品比率は半減を繰り返して、1990年時点では5%台にまで激減しているのだ。残念ながら鉱工業生産指数の基準年がまだ1995年であるため、2000年時点の新製品比率を計算することはできないが、おそらく半減を続けて、3%前後になっているものと考えられる。
ただ1990年時点でさえ新製品比率が5%だということは、新製品の登場によって経済を拡大できる効果は、年当たりわずか0.5%になっていることを意味する。つまり、新製品を次々に開発して経済を引き上げていくというシナリオは、もはや完全に時代遅れ」
成長しなくなったから新製品が出ていないのでは。
という考えも出来そうです。
しかし、60年から90年まで一貫して低下しているというのは成長--->新製品という線を否定する材料になります。
通商産業省の分析での新製品の定義は次の通り。
これを新製品としてしまって良いのかという問題はありますが、公式統計の限界もあるので一先ずは置いておきます。
「447品目を対象として、1990年の付加価値ウエイトを製品の登場時期別に集計している。製品の登場時期は、鉱工業生産指数に品目が採用された時期」
そこで、仮説。
1次-->2次-->3次産業へと付加価値ウェイトが移って行くというのがクラークの法則。
これは、日本でも韓国でもあてはまっています。
その上で、
「作ってしまったモノ/サービスを売る」
ことから
「作りつつ売る」というかSCMの発展形のイメージのようなところに付加価値の源泉が移ってきているのではないかと。
消費で言うと「場の消費」。ラーメン博物館、ディスニーランド型消費。
B2Bのところで言えば将にSCMの延長線上(+商品開発のところまで[擬似]共同化)。
顧客に応じて様々なオプションを付けて売る(単一商品を売る場合は同時提供される「場」が異なる!)という意味で、多品種少量生産+低いコスト。
ちょっと分かりにくいのですが、
「作ってしまうこと」=「場」を製造プロセスのみで独占
「作り出すこと」」=「場」を供給と需要側で共有
ちょっと違いますが、そんなイメージです。
テンプレート化したモノ/モジュール化されたモノを売っても利益が出ない。
一方で、テンプレート化/モジュール化することで利益が上がる。
そういう具合に付加価値の源泉が移ってきているのではないでしょうか。
テンプレート化/モジュール化の方法論を売るのか、これを使って組み立てたものを売るのか、これを使って組み立てて売る機会/場を売るのかということになりそうですが、その視点でいうと、2番目と3番目の中間。
しかし、それは正確ではありません。
ベンダとユーザーの間でプロセスを共有した上でのテーラーメイドと言ったほうが良いでしょう。
あるいは、プロセスが法制上の1企業からはみ出ている状態。
IBMでいうところのエコシステム、マッキンゼーの新しいP(パートナリング)が相当します。
似ているけれども、決定的に違うのは価値プロセスが閉じたままでのパートナー関係。
本当に、その部分に付加価値の源泉が移ってきているのだとすると、一頃に喧伝されたインターネット革命が「革命」に値する局面にじわりと入りつつあると整理出来るでしょう。
歴史を紐解けば、18世紀の第一次産業革命も19世紀の第二次産業革命も蒸気機関、綿織物機械の発明と普及、動力機械の普及といったモノの登場自体ではなく、モノの登場に合わせて生産の仕組み、販売の仕組み、消費の仕組みが変化していったことで大きなインパクトをもたらしています。
インターネットやITだけは例外ということは有り得ないと考えるのが普通と言えます。
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