
長崎屋は, 事実上の創業者である岩田孝八によって1948年に神奈川県平塚市で創業された小売企業であり, 戦後日本の生活復興期における典型的な成長企業の一つである.
社名の由来は, 孝八の父・長八が茅ヶ崎に構えた店の屋号にさかのぼる.その屋号自体は, 岩田家の先祖が江戸時代に東海道大磯宿で営んでいた旅籠「長崎屋」に由来するとされる.この旅籠は本陣に次ぐ格式を持ち, 名主も兼ねた有力な宿であったが, 明治3年[1870年]に廃業したと伝えられる.また, 江戸日本橋本石町でオランダ商館長[カピタン]の定宿を務めた薬種問屋の長崎屋源右衛門の家系との関連を指摘する説もある.しかし孝八の伝記「松籟の如し 異能の商人 岩田孝八」において著者の猪飼聖紀は, 大磯の長崎屋と江戸の長崎屋を直接結びつける史料は存在しないと記しており, 両者の家系的な連続性は確証されていない.
創業当初は布団店として出発したが, やがて衣料品を中心とする総合小売へと業態を拡張し, チェーンストアとしての発展を遂げた.1952年には株式会社化され, 1961年に岩田孝八が代表取締役社長に就任した.
1960年代から1980年代にかけては高度経済成長と消費拡大の波に乗り, 急速な多店舗展開を実現した.1967年には東京証券取引所第一部に上場し, 全国規模の流通企業としての地位を確立した.店舗は「サンショッピングセンター」の名称で展開され, 象のキャラクター「サンちゃん」とともに広く親しまれた.この時期, 長崎屋はダイエーやイトーヨーカ堂に次ぐ規模を有し, 売上高は数千億円規模に達するなど, 国内有数の総合スーパーとしての存在感を示していた.
しかし1990年代に入ると経営環境は急速に悪化する.その遠因の一つは, 1980年代初頭の個人消費低迷期に創業者・孝八が断行した粗利率の大幅引き上げであった.主力衣料品の値入れ率を40%台から50%台へと強引に引き上げたこの判断は, 消費者に割高感を抱かせて売上の伸び悩みを招いただけでなく, 有力な衣料品メーカーや問屋の離反を招き, 長崎屋の商品競争力を徐々に損なっていった.加えてバブル経済の崩壊により不動産投資の含み益が消失し, 過大な資産と負債が経営を一層圧迫した.総合スーパー業態そのものも専門店や郊外型大型店との競争にさらされ, 収益力は低下の一途をたどった.さらに1990年3月には尼崎店において大規模火災が発生し, 死者15名を出す惨事となった.防火扉前への商品放置や警報装置の誤作動の常態化など, 安全管理上の問題が重なったこの事故は企業イメージに深刻な打撃を与えた.
こうした複合的要因の結果, 1993年2月期中間決算で上場以来初の経常損失を計上するに至った.経営責任を問われるかたちで, 同年1992年10月の取締役会において創業者・孝八は代表取締役会長から顧問へ, 長男で二代目社長の岩田文明は代表取締役社長から取締役相談役へとそれぞれ降格となり, 生え抜きの井上民雄が新社長に就任した.東京大学法学部を卒業後, 伊藤忠商事を経て長崎屋に入社し1988年から社長を務めていた文明氏の退場により, 岩田家は実質的に経営の表舞台から退いた.その後も経営再建は志半ばのまま進まず, 2000年に長崎屋は会社更生法の適用を申請し, 負債総額約3,800億円を抱える経営破綻に至った.この規模は当時の小売業としては最大級であり, 戦後流通史における象徴的な倒産事例の一つとされる.創業者・孝八は長崎屋がドン・キホーテ傘下で再生を果たす姿を見届けながらも, 自ら創業した企業の経営に復帰することなく, 2012年に90歳で逝去した.
転機となったのは2001年である.ドン・キホーテ[現パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス]が事業譲受により長崎屋を傘下に収め, 再建に乗り出した.総合スーパーとして培われた長崎屋の店舗基盤と, ディスカウント業態を得意とするドン・キホーテの販売ノウハウが融合され, 新たな店舗モデルが構築されていった.
その象徴が2008年に誕生した「MEGAドン・キホーテ」である.長崎屋の大型店舗を活かしつつ, 食品・日用品から衣料・家電まで幅広い品揃えを実現し, 圧縮陳列や深夜営業といったドン・キホーテ固有の手法を組み合わせたこの業態は高い集客力を発揮した.特に郊外型立地において成功を収め, 現在ではPPIHグループの主力業態の一つとなっている.
現在も法人としての長崎屋は存続しており, グループ内において主にMEGAドン・キホーテの運営主体として機能している.かつての「サンショッピングセンター」というブランドは姿を消したが, その店舗資産と商業基盤は形を変えながら活用され続けている.