Kマート

Kマート[Kmart Corporation,米].
NYSE:KM[/2002]
時価総額[2002]:約10億-12億米ドル[経営破綻前].


Kマートは, 1990年代半ばまではウォルマート[Walmart Inc.]やターゲット[Target Corp.]と並ぶ米国三大ディスカウントチェーンであった.

Kマートの源流は, 19世紀末に米国で創業された雑貨チェーンに遡る.創業者はセバスチャン・S・クレスジ[Sebastian Spering Kresge]であり, 1899年にデトロイトで「S. S. Kresge Company」として始まったファイブ・アンド・ダイム[5セント・10セント]ストアがその母体である.クレスジはペンシルベニア州出身で, 若い頃から小売業に従事し, 1897年にジョン・マッコーリー[John G. McCrory]と共同でデトロイトとメンフィスに店舗を開いたが, 1899年に独立してS.S.Kresge Companyを設立した.成長を続けた同社は20世紀中盤にかけて店舗網を拡大し, 従来の5・10セント店からより大型で総合的なディスカウントストアへと事業を拡張していった.こうした変化の中で, 1962年に同社はKマート・ブランドの第一号店を開設した.最初のKmart店はミシガン州ガーデンシティ[Garden City, Michigan]に1962年3月1日に開店し, 広い売場と低価格を武器に短期間で人気を博した.同年, アーカンソー州ロジャースでサム・ウォルトンが最初のウォルマートを, ミネソタ州ローズビルでデイトン社[後のターゲット・コーポレーション]が最初のターゲット店を開店しており, 1962年は米国ディスカウント小売業の画期的な年となった.

1960年代から1970年代にかけてKマートは急速に全国展開を行い, 郊外型の大型ディスカウントストアとしてウォルマートやターゲットと並ぶ存在となった.品揃えは衣料, 生活用品, 家電, 玩具など多岐にわたり, 低価格戦略と店舗密度の高さで大規模な売上を確保した.1976年には米国内に1,000店舗を超える規模に達し, 1970年代後半から1980年代にかけてはウォルマートを上回る売上高を記録し, 米国最大のディスカウントチェーンとしての地位を確立した.1977年に社名をS. S. Kresge CorporationからKmart Corporationに正式に変更し, コーポレート・アイデンティティとしてKマートの名が全面に出された.

1990年代に入ると小売競争は一段と激化した.ウォルマートはサプライチェーンの効率化, 物流・在庫管理の徹底, 早期からのコンピューター化と衛星通信システムの導入, ローコスト体質の構築を進め, さらにターゲットは価格に加えデザインやブランド戦略で差別化を図った.これに対しKmartはIT近代化や在庫管理の遅れ, 店舗の老朽化対応の遅滞, 従業員教育や販促戦略の迷走などが重なり, 徐々に競争力を失っていった.1990年にはウォルマートがKmartを売上高で追い抜き, 業界首位の座を奪った.2000年代初頭には多くの地域で顧客離れが顕著となり, 業績は悪化した.

経営悪化は財務面にも波及した.巨額の固定費[店舗維持費]と売上減少が重なり, 2002年1月22日にKマートは連邦破産法第11章[Chapter 11]を申請し再建手続に入った.この時点でKマートは米国小売業史上最大の破産申請であった.Chapter 11に基づく再建は, 事業を継続しつつ債務を整理する手段であるが, Kmartの場合は店舗閉鎖・賃料交渉・債権者との再編交渉などが断続的に行われた.破産申請時点では多額の短期負債と資金繰りの逼迫が問題であり, 同時に消費者の支持を回復するための根本的な戦略転換が求められていた.

破産手続中, 入札過程を経て外部投資家が支配権を得た.2003年に投資会社などを中心とする買収グループ[中核はヘッジファンド系の投資家であるエドワード・ランパート[Edward S. Lampert]率いるESL Investmentsの関与が著しい]がKmartを取得し, 再建計画を進めた.資本構成の整理, 不要店舗の閉鎖, コスト削減策が実施され, Kmartは2003年5月に破産手続を終えて再建会社として再出発した[正式な再上場は2003年5月6日].再出発後のKマートは現金流の改善や在庫回転率の向上を目指したが, 依然として競争環境は厳しく, 売上規模と収益性の回復は限定的であった.

再建後の戦略の一つとして, 経営陣は規模の経済やブランド価値の向上を模索し, 他社との統合・提携を検討した.こうした動きの中でKマートは2004年11月にSears, Roebuck and Co.[以後Sears]との統合を発表し, 2005年3月に正式に統合が完了した.統合はKマートがSearsを買収する形で実施され, 破産から再建を果たしたばかりのKマートが, 歴史ある大手百貨店Searsを買収するという異例の展開となった.統合後の持株会社はSears Holdings Corporationとして運営され, Kマート・ブランドとSearsブランドの両方を傘下に抱える体制となった.エドワード・ランパートがSears Holdingsの会長兼CEOに就任し, 経営の実権を握った.統合は小売業の規模拡大と販売チャネルの統合, 調達力強化を目的としていたが, 両社の店舗網や商品戦略, IT・物流システムの統合は容易ではなく, 統合コストや文化的摩擦も発生した.

統合後のSears Holdingsは, 資産売却や店舗閉鎖を繰り返しながら収益の確保を試みたが, オンライン小売の台頭, 特にAmazonの急成長, 消費者行動の変化, 店舗への設備投資や商品開発への資本投下の不足, 競争の激化などにより業績はさらに悪化した.ランパートは不動産資産の売却や自社ブランドの分離など, 資産の切り売りによって短期的な資金を確保する戦略を採ったが, 根本的な事業改革には至らなかった.最終的にSears Holdings自身も2018年10月15日に連邦破産法第11章の適用を申請するに至った.破産手続でSears Holdingsの流動資産や多くの資産は処分・売却され, 同社の事業は大幅に縮小した.

Sears Holdingsの資産の一部は民間の買収者に引き継がれた.代表的な買収主体はTransform Holdco LLC[通称Transformco]であり, 同社はエドワード・ランパートが設立した持株会社である.2019年2月, ランパート率いるTransformcoは破産裁判所の承認を得て, 約52億ドルでSears Holdingsの資産を買収した.TransformcoはSears Holdingsの有価資産を買い取り, 一部の店舗とブランドを維持して事業を継続するとともに, 残余の資産は整理・売却された.結果としてKmartブランドはかつてのような全国的な規模を喪失し, 営業を続ける店はごく一部に限られる状況となった.2020年代初頭には十数店舗が残っていたが, 継続的な閉鎖により店舗数は急激に減少した.2024年時点で米国本土に残るKマート店舗はわずか数店舗のみであり, 主たる事業体は非上場のTransformcoの傘下で断続的に運営されている.かつて2,000店舗以上を展開し, 米国最大のディスカウントチェーンとして君臨したKマートは, 事実上消滅に近い状態となっている.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.






















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