恒生銀行有限公司.Hang Seng Bank Ltd.
恒生銀行[Hang Seng Bank Limited]は,1933年3月3日に香港で設立された商業銀行である.林炳炎[Lam Bing‑Yim],何善衡[Ho Sin‑Hang],梁植偉[Leung Chik‑Wai],盛春霖[Sheng Tsun‑Lin],何添[Ho Tim]の5名の創業者によって恒生銀號[Hang Seng Ngan Ho]として創立された.銀號[銀号]とは,清朝末期から中華民国初期,そして20世紀前半の華人社会[中国本土・香港・東南アジア等]に広く存在した近代的な銀行制度以前の金融機関形態である.主に両替,送金,為替,金銀取引,預金の受入,短期貸付を行った.創業時は地元の中小企業や一般市民を対象とした地域密着型の金融機関として出発し,主に預金業務と両替業務を中心に事業を展開していた.設立当初の本店は香港島の上環に位置し,銀行名の「恒生」については,公式には「永恒生長」という意味を持つとされているが,実際は創業者の盛春霖が開設していた「恒興銀号」と林炳炎の「生大銀号」から一字ずつ取って命名されたという説もある.これは安定性と繁栄を志向する創業者たちの理念を反映している.
その後,1952年に香港政府の銀行業規制に基づき正式な銀行免許を取得し,社名を恒生銀行有限公司[Hang Seng Bank Limited]へと改称.その後の10数年間で急速に成長を遂げ,香港の金融界における重要な地位を築いた.この期間は,香港経済が中国内戦後の混乱を経て商業都市として再構築されつつあった時期にあたり,恒生銀行はその成長を支える地域密着型の銀行として台頭した.特に,中小商人,卸業者,地域の不動産業者との関係を強化し,預金,為替,手形割引,短期融資といった業務を通じて,香港の華人ビジネスコミュニティにとって不可欠な金融機関となった.大手英資銀行が主に外資系大企業や貿易企業を顧客としていたのに対し,恒生銀行は華人系中小企業のニーズに応えた点が大きな特徴である.1960年代初頭には,恒生銀行はすでに香港最大級の華人資本銀行としての地位を確立していたが,その経営スタイルは依然として創業家出身の経営陣による手作業中心の伝統的手法に依存していた.内部統制やリスク管理体制は制度的には未成熟な側面もあり,組織運営の近代化には課題を抱えていた.
1965年初頭,中国系の小規模銀行である中国農工銀行[Canton Trust and Commercial Bank]が貸出金の焦げ付きや財務内容の不透明さから経営難に陥っているとの報道や風評が広まり,預金者が殺到して現金を引き出す事態となった.取り付け騒ぎが起きた結果,中国農工銀行は1965年2月に支払い不能に陥り破綻.この破綻をきっかけに,他の中国系中小銀行への不信感も一気に広がった.この香港金融界に大きな影響を与えた銀行危機により恒生銀行で預金取り付け騒動が発生し,同行は一時的な流動性危機に直面した.これに対して,当時すでに香港において強固な基盤を持っていた香港上海銀行[現HSBC]が迅速に対応し,恒生銀行の株式51%を取得することで経営支援を行った.その後,HSBCは恒生銀行の筆頭株主となり,現在に至るまで約62.14%の株式を保有している.これにより恒生銀行はHSBCグループの一員として運営されており,グループ全体の経営方針やリスク管理体制の下に置かれているが,香港証券取引所に独自に上場している独立法人としての地位も保持している.
恒生銀行は長年にわたり,香港市場において個人金融,企業金融,貿易金融,資産運用,保険など幅広いサービスを展開してきた.特に,香港株式市場を代表する株価指数「ハンセン指数[Hang Seng Index]」の算出機関としても知られており,1969年にこの株価指数を導入したことで,香港金融市場における影響力をさらに高めた.ハンセン指数は香港証券取引所上場企業の時価総額加重平均指数として,香港市場の動向を示す重要な指標となっており,現在も恒生指数有限公司によって管理・運営されている.
2003年,恒生銀行は中国本土市場への本格進出を図り,中国大手商業銀行である興業銀行[Industrial Bank Co., Ltd.]の株式15.98%を取得した.これは,香港の銀行として中国本土における銀行業務に初めて大規模な資本参加を行った例の一つであり,恒生銀行の中国市場に対する戦略的関心を示す動きであった.この資本提携により,恒生銀行は興業銀行との間で業務提携や人材交流を進め,中国市場に関するノウハウの蓄積を図った.
しかし2015年,恒生銀行はこの出資持分をすべて売却する方針を決定し,同年内に興業銀行株式の全てを中国平安保険[集団]股份有限公司[Ping An Insurance Group]に譲渡した.売却額は約296億元[当時の為替レートで約48億米ドル]に達し,同行にとって過去最大級の資産売却の一つとなった.売却の背景には,資本効率の改善,グループ戦略との整合,リスク管理の強化などがあったとされる.この売却により,恒生銀行は中国本土における間接的な業務展開から,自社主導による支店ネットワークやサービス展開へと戦略を再編した.
現在の恒生銀行は,香港においては主要な市中銀行の一つとして強固な市場地位を維持しており,総資産では香港第4位の規模を誇る.中国本土にも北京,上海,広州,深圳,東莞,福州,南京,昆明,天津,杭州などの主要都市に支店を展開し,個人および法人向けサービスの拡充を図っている.HSBCグループの一員でありながら,香港市場における独自ブランドとローカルな顧客基盤を生かした経営を行っており,安定的な収益基盤と高い預金シェアを背景に,香港金融界で重要な役割を果たしている.同行は特にリテール銀行業務において強みを持ち,住宅ローン市場では香港で有数のシェアを保持している.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.