Jardine Matheson Holdings Limited.怡和控股有限公司.法律上は
英領バミューダ[Bermuda]登記,上場市場は
シンガポール,実質的なヘッドオフィス機能は香港にある.
ジャーディン・マセソンHDは,1832年に中国広東省の広州において,スコットランド出身の商人ウィリアム・ジャーディン[William Jardine]とジェームズ・マセソン[James Matheson]によって創業された英系の多国籍複合企業である.当初は「ジャーディン・マセソン商会[Jardine, Matheson & Co.]」として設立され,茶,絹,綿花,アヘンなどの貿易を主要事業とし,当時の清朝中国との交易を通じて急成長した.特に19世紀半ばの第一次アヘン戦争[1839/1842]前後においては,清との貿易摩擦と英中間の利害の狭間で,同社は外交的・経済的影響力を強めた.この戦争後,香港が英国に割譲されたことで,ジャーディン・マセソンは1844年に本拠地を広州から香港に移し,香港の中核的商社としての地位を確立した.
19世紀後半から20世紀初頭にかけて,同社は貿易にとどまらず,香港および中国沿岸部における倉庫業,保険業,海運,鉱業,鉄道建設,製造業,不動産開発などに事業を拡大し,東アジアにおける英系資本の代表的な商社に成長した.香港の植民地統治下においては,英国統治機構とも密接な関係を持ち,香港経済の形成に大きな役割を果たした.現在の香港島中環に所在する自社ビル「ジャーディン・ハウス」は,長らく香港のランドマークとして知られ,現在も同社の主要拠点となっている.
第二次世界大戦後,アジア地域の政治・経済情勢は大きく変化し,1949年の中華人民共和国の成立以降,同社は中国本土市場から一時的に撤退を余儀なくされた.冷戦下の地政学的緊張が続くなかでも,同社は香港および東南アジアにおける事業再編を進め,特に不動産,小売,輸送,ホテル事業などを中核とした多角的な経営を展開した.1980年代には香港の主権返還[1997年]を見据えて企業統治構造を再編し,1984年に持株会社「ジャーディン・マセソン・ホールディングス」を英領バミューダに設立して本社登記を移した.上場先については,ロンドン証券取引所から撤退し,現在はシンガポール証券取引所への単独上場である.これは,香港返還後に生じ得る中国政府の影響を回避するための戦略的措置であり,法人登記上の本社はバミューダに所在するものの,実務上の本社機能は引き続き香港に維持されている.
21世紀に入り,同社はコングロマリットとしての性格をより明確にし,傘下にはホンコン・ランド[Hongkong Land,不動産],デイリー・ファーム・インターナショナル[乳製品・飲料・小売],マンダリン・オリエンタル・ホテル・グループ[高級ホテル],ジャーディン・サイクル・アンド・キャリッジ[自動車販売],ジャーディン・ロイド・トンプソン[保険・リスクマネジメント]などを擁している.これらを通じて,東南アジアや中国本土を含むアジア全域において,不動産,消費財,金融,物流,サービスなどの分野で広範な事業展開を行っている.
同社の経営体制は階層的な持株構造に基づいており,上場企業である一方で,創業家系であるカースン家を含む主要株主の影響力が現在も強い.コーポレート・ガバナンスの透明性に関しては,外部からの批判も一部に存在する.また,近年では中国本土市場への再参入を積極的に進めており,改革開放政策以降の中国経済成長を背景に,上海,北京,深圳などの主要都市において不動産開発やホテル事業,小売事業を展開している.さらに,ASEAN諸国での事業拡大にも注力しており,インドネシア,タイ,ベトナム,フィリピンなどにおいて多様な投資を行っている.
ジャーディン・マセソン・ホールディングスは,現在においてもアジア有数の多国籍企業として,特に香港,中国南部,東南アジアを中心とする市場において強い存在感を示している.1832年の創業以来,190年以上にわたり,同社は地域の経済,社会,都市の形成に深く関与してきた歴史を有する.同社の企業価値は,長期的な視点に基づく事業展開と地域密着型の経営戦略にあり,経済合理性と持続的な企業統治,アジア市場に対する深い理解を基盤として,今後も同地域の成長を牽引することが期待されている.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.