ギリシア独立戦争(1821-29)

1821年、かねてからの宗教的圧迫に苦しんでいたギリシアがオスマン=トルコ帝国に叛旗を翻したことで始まった戦争。翌22年には、ギリシアはオスマン=トルコからの独立を宣言。
トルコ帝国は、ヨーロッパ大陸への足場となるギリシアを手放すまいと、エジプト軍を動員し徹底鎮圧を図る。
これに対して、ギリシアに文化的に親近感を抱く西欧各国の民間人が義勇兵としてギリシア入りし激戦となる。フランスの画家ドラクロワ(Delacroix[1798-1863])、英国の詩人バイロン(Byron[1788-1824])などもギリシア支援を世論に訴えたことで知られる。
民間レベルのギリシア支援運動だけではなく、地政学的に重要な東地中海の覇権を巡って英、仏、露が軍事介入。
1827年には英仏露連合艦隊がオスマン帝国艦隊をナヴァリノ海戦(Navarino)で破ったことでギリシア独立が事実上決定的となる。その後、ロシアとオスマン帝国は29年に黒海北部のロシアへの割譲、オスマン帝国のギリシア独立承認を内容とするアドリアノープル条約(Adrianople)を締結。これによって、独立戦争の幕は降ろされた。30年にはロンドン会議で英仏もギリシア独立を承認する。