

旧神田青果市場
旧神田青果市場は、江戸の都市形成とともに発展した日本を代表する青果市場の一つであり、その起源は慶長年間(1596~1615年)にまでさかのぼる。伝承によれば、慶長17年(1612年)頃、江戸幕府が江戸市中の食料需要に対応するため伊勢松坂の青物商人を呼び寄せ、神田多町に住まわせたことが始まりとされる。当初は江戸市中の各所に青物市場が分散して存在していたが、明暦3(1657)年の明暦の大火後、復興が進む中で分散していた市場が次第にこの神田多町・神田須田町一帯(当時「八辻ヶ原」と呼ばれた地)へ集約され、一大市場として発展した。この市場は江戸城に近く、水陸交通にも恵まれていたことから急速に発展し、やがて徳川幕府の御用市場として公認されるに至った。駒込市場、千住市場とともに「江戸三大青物市場」に数えられ、その中でも最大規模を誇る市場として知られるようになった。
市場は神田川や日本橋川の水運を巧みに利用して発展した。神田橋門外の鎌倉河岸や神田川沿いの河岸には、関東各地から船で運ばれた野菜や果物が次々と荷揚げされ、それらが市場へ搬入された。特に上総・房州方面からの荷は龍閑町河岸へ、葛西・砂村方面のものは柳原稲荷河岸へと水揚げされ、他の市場では見られない優れた品が豊富に入荷したと伝えられている。当時の市場は多町・連雀町・雉子町・佐柄木町・須田町の五町にまたがり、約1万5千坪にも及ぶ広大な敷地を有し、江戸市中の膨大な人口を支える青果流通の中枢として機能した。市場周辺には問屋や仲買人だけでなく、多数の商家や職人が集住し、店舗が住居を兼ねる形で市場そのものが一つの町を形成するほどの賑わいを見せていた。江戸の食生活を支える流通拠点であると同時に、江戸経済を支える重要な商業地区でもあった。
神田青果市場は単なる取引の場ではなく、日本の市場文化にも大きな影響を与えたことで知られる。現在でも青果市場を意味する俗称として用いられる「やっちゃ場」という言葉は、この市場で威勢よく競りを行う際の掛け声に由来すると伝えられている。威勢のよい売買や活気あふれる商いは神田市場の象徴となり、「神田っ子」と称される勇み肌の気風や神田祭の活気も、この市場の商人文化に由来するといわれる。その呼称は全国各地の青果市場へ広まっていった。このように神田市場は、青果物流通だけでなく、市場文化や商慣習の発信地としても重要な役割を果たした。
明治時代に入ると、近代国家の成立に伴って市場制度も再編され、神田市場は東京府の認可を受けた近代的な青果市場として存続した。鉄道網の整備や人口増加によって取扱量はさらに増加し、明治30年代には野菜・果物問屋だけで200戸を超えるまでに拡大するなど、東京市民の食料供給を担う中核市場としての地位を維持した。しかし、市場施設は江戸時代以来の狭隘な市街地に立地していたため、交通混雑や衛生環境の改善が次第に課題となっていった。
大正12(1923)年の関東大震災では市場全体が壊滅的な被害を受けたものの、直ちに復興が進められ、近代的な設備を備えた市場として再建された。その規模と機能は当時「東洋一の青果市場」と称されるほどであり、東京の食料流通の中心として再び活況を取り戻した。しかし、都市交通の発達と市場機能のさらなる拡充が求められるようになると、神田須田町の旧市場は手狭となり、昭和3(1928)年には秋葉原駅北口(現在の秋葉原UDX付近)の新市場へ移転した。さらに、昭和10年(1935年)には中央卸売市場法に基づく東京市中央卸売市場神田分場として改編され、近代的な卸売市場制度の中核を担う市場へと発展した(同年には築地・江東の両市場も同法に基づき開設されている)。
その後も神田市場は首都圏最大級の青果市場として機能し続けたが、高度経済成長期には施設の老朽化や敷地不足、大型車両による物流への対応が困難となった。このため東京都は市場機能の再編を進め、秋葉原駅前にあった神田市場と、五反田にあった荏原市場(蒲田分場を含む)を統合して大田市場を建設し、青果部門は平成元(1989)年5月6日に業務を開始した。なお、平和島にあった大森市場は青果部ではなく水産物部として統合され、築地市場の一部業者とともに同年9月18日に業務を開始しており、大森市場は青果部門の統合先ではない点に留意が必要である。これにより、慶長年間の成立から数えて約380年、明暦の大火後の集約からでも330年以上にわたり江戸・東京の青果流通を支え続けた神田青果市場の歴史は幕を閉じた。しかし、その流通機能や市場文化は現在の大田市場へ受け継がれ、神田須田町(現在の千代田区神田須田町)には昭和32(1957)年に建立された「神田青果市場発祥之地」の碑があり、日本の青果流通史を語る上で欠かすことのできない歴史的遺産として今日までその名を伝えている。
千代田区神田須田町@2017-09.

今日も街角をぶらりと散策.
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