

廿軒家
廿軒家は, 名古屋市守山区に所在する地名であり, その成立は江戸時代初期の武家集住に直接由来する点で特徴的である.「廿」という字は二十を意味し, 文字通り「二十軒の家屋」, すなわち武士の屋敷数に基づく命名である.このように, 居住単位の数量がそのまま地名として固定化された事例は, 近世初頭の計画的入植の性格を明確に示すものである.
その起源は17世紀初頭, 具体的には元和年間頃に遡る.当時, 尾張藩の附家老であり犬山城を本拠とした成瀬正成が, この地域の開発および統治を目的として, 自らの家臣団を配置したことに始まる.成瀬氏はこの地に二十軒の武家屋敷を整備し, 同心層の家臣を移住させた.これにより廿軒家は, 単なる農村ではなく, 軍事的・行政的機能を併せ持つ半ば計画的な武家集落として成立したのである.
この配置には明確な政策的意図が存在していた.廿軒家の周辺は, 名古屋城下から信州方面へと通じる下街道沿いに位置し, 交通の要衝として治安維持や通行監視の必要があった.したがって, 信頼のおける家臣団を常駐させることは, 領内支配の観点から合理的であった.また同時に, この地域は守山台地上に広がる未開発地であり, 新田開発の拠点としての役割も担わされた.すなわち, ここに居住した武士たちは純粋な軍事要員ではなく, 農業生産にも従事する「半農半士」的存在として地域開発に関与したのである.
宗教的・共同体的中心としては, 入植とほぼ同時期に創建された廿軒家神明社が重要である.この神社は産土神として祀られ, 地域共同体の精神的核を形成した.社紋が成瀬家の家紋と同一であることは, 領主と家臣団, さらには地域社会との結びつきを象徴的に示すものである.さらに, 元禄16[1703]年の棟札にはすでに廿軒家の地名が確認されており, 17世紀末までには地名としての定着が完了していたことがわかる.
幕末期には家臣団の再編や増員も行われ, 例えば嘉永6[1853]年には新たな同心が加えられるなど, 体制の補強が図られた.このような動きは, 幕末の社会不安や統治強化の必要性を背景とするものであり, 廿軒家が依然として軍事的・行政的拠点として機能していたことを示唆する.
地理的には, この地域は台地上に位置しており, 水害の影響を受けにくい高所であった.この点は, 居住地としての安定性のみならず, 監視・防衛拠点としての適性にも関係していたと考えられる.すなわち地形的条件と政治的意図とが合致した結果として, この地に武家集落が形成された.
近代以降, 行政区画の変遷を経て, 廿軒家はかつての東春日井郡守山町の一部となり, 1963[昭和38]年の合併によって名古屋市に編入され, 現在の守山区に属するに至った.しかし, その地名は近世初頭の集住形態を今日に伝えるものであり, 都市化が進行した現在においても, 土地の歴史的層位を示す重要な指標となっている.
愛知県名古屋市守山区@2014-11.

今日も街角をぶらりと散策.
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