ぶらぶら絵葉書

土管坂

土管坂は, 愛知県常滑市の旧市街に位置する象徴的な景観であり, 単なる観光的意匠ではなく, 同地の窯業史と密接に結びついた産業遺産である.常滑は日本六古窯の一つに数えられ, 平安時代末期から中世にかけて壺・甕などの日用雑器の生産地として発展した.これらの製品は伊勢湾を通じて広域に流通し, 地域経済の基盤を形成したのである.近世に入ると生産はさらに拡大し, 江戸時代後期には急須の産地としても知られるようになった.そして決定的な転機となったのが明治期以降の近代化である.都市化と衛生環境の整備に伴い, 上下水道の敷設が全国的に進展すると, 耐久性と量産性に優れた陶製土管の需要が急増した.常滑ではソケット型の接合口を持つ土管が明治初期に考案・規格化され, 生産体制が工業的規模へと移行した.登り窯による大量焼成が進展し, 大正時代にかけて同地はタイルとともに土管の一大産地として確固たる地位を築くに至ったのである.土管坂の成立は, まさにこの近代窯業の展開と不可分である.坂の名は本来, 坂の両側に登り窯が立ち並び, 焼き上がった土管で埋め尽くされていたことに由来するといわれる.窯業が最も盛んだった昭和初期ごろ, 坂道の土が崩れ滑りやすかったため, 廃棄するよりも転用した方が合理的であった不要な土管や廃材が路面や擁壁に用いられるようになった.これが今日の景観の直接的な起源である.路面には土管焼成時に使われたリング状の焼き台である「ケサワ[捨て輪]」が敷き詰められ, 両側の擁壁には明治期に薪で焼いた土管と昭和初期に石炭で焼いた焼酎瓶が積層されている.これらはいずれも製造過程で生じた副産物の転用であり, 再利用は単なる節約の結果ではなく, 窯業技術に基づく素材理解と, 生活空間への応用力を示すものである.なお, 坂の北側壁面は主に土管, 南側壁面は主に甕[焼酎瓶]で構成されており, この地に土管製造業者と焼酎瓶製造業者がそれぞれ操業していたことを今に伝えている.この景観は昭和中期以降, 窯業の縮小・移転とともに生産の場としての機能を失っていったが, 道幅が狭く大型自動車の通行に不向きな地形的条件により開発の手が入らず, 窯場や工場の遺構とともに原形をとどめることとなった.こうした旧市街全体が1972年ごろから自然発生的に観光コースとして歩かれるようになり, 「やきもの散歩道」として広く知られるようになった.さらに, 地域住民や行政による景観保全の機運が高まる中, 常滑市は2010年[平成22年]に景観法に基づく「常滑市やきもの散歩道地区景観計画」を策定し, 建築物や工作物の景観基準の制定および助成金制度の設置によって, 現在の形での保護・維持が図られている.また, 地形的条件もこの景観の形成に寄与している.常滑の旧市街は丘陵地に展開し, 窯場や作業場が斜面に沿って配置されていたため, 坂道は日常的な移動経路であると同時に, 焼成物の運搬路でもあった.雨天時の滑りやすさや排水の問題に対応する必要があり, その解決として土管焼成時の廃材[ケサワ]の粗面を利用した舗装が採用されたと考えられる.すなわち土管坂は, 産業活動・地形条件・生活技術が統合された結果として成立した空間なのである.今日において土管坂は, やきもの散歩道の中核的存在として保存されているが, その本質は装飾的景観ではなく, 常滑の窯業が中世から近代へと展開していく過程を物質的に体現した歴史的断面にある.そこでは製品, 廃材, 建築, 地形が連続的に結びつき, 産業と生活が未分化に交錯していた時代の構造が, 現在に至るまで可視化されている.

愛知県常滑市@2019-11.


今日も街角をぶらりと散策.
index





















- - - -