

東京メトロ南北線[N]
路線の構想は1962[昭和37]年の都市交通審議会答申第6号において「7号線」として示されたことに始まる.その後, 高度経済成長期の人口増加と都市圏拡大に伴い通勤輸送需要が急増し, 都心部を縦断する南北交通軸の欠如が首都圏交通の構造的弱点として認識されていった.既存の地下鉄路線の多くが東西方向の交通軸を担っていたことから, 都心部を縦断する新たな南北軸の形成が強く求められていたのである.1984[昭和59]年の運輸政策審議会答申第7号において, 港区における大量公共交通機関の確保, 丸ノ内線の混雑緩和, 文京・豊島両区内の交通過疎解消, 北区北本通りへの大量輸送機関導入等を目的として整備すべき路線として正式に位置づけられ, 1986[昭和61]年2月に工事が着手された.
建設主体は帝都高速度交通営団であり, 南北線は営団地下鉄としては最後期に建設された路線に属する.最初の区間である駒込–赤羽岩淵間が開業したのは1991[平成3]年11月29日のことである.当時この区間は他の営団地下鉄路線とまったく連絡のない独立路線であったが, この独立性を逆手にとって都内地下鉄として初めてのワンマン運転とホームドアの全駅設置が実現した.これは後の地下鉄整備の標準となる先進的な試みであり, 鉄道技術史上重要な事例として位置づけられる.またプリペイド式乗車カード「NSメトロカード」を開業当初から導入するなど, 運営面でも実験的な試みが重ねられた.なお開業時は4両編成での運転であった.
その後路線は4段階の延伸を経て全線開通に至った.1996[平成8]年3月26日に四ツ谷–駒込間が開業し, 同時に6両編成化が実施されて他の営団路線との接続が初めて実現した.1997[平成9]年9月30日には溜池山王–四ツ谷間が開業し, 霞が関や永田町に近い日本の政治・行政の中心地区へのアクセスが可能となった.そして2000年[平成12年]9月26日に目黒–溜池山王間が開業し, 工事着手から14年を経て目黒–赤羽岩淵間21.3キロメートル, 19駅が全線開通した.
目黒延伸は首都圏鉄道ネットワークの構造を大きく変化させた出来事であった.目黒–白金高輪間2.3キロメートルは都営三田線との共用区間として建設されており, 東京メトロが第一種鉄道事業者として施設を保有し都交通局が第二種事業者として乗り入れる形態となっている.目黒駅では東急目黒線および都営三田線との相互直通運転が開業と同時に開始され, 地下鉄と私鉄とが一体化した広域通勤鉄道網が形成された.さらに2023[令和5]年3月18日には東急新横浜線・相鉄新横浜線が開業し, 南北線は相鉄本線・いずみ野線への直通運転も開始した.これにより東京都心の地下鉄でありながら横浜・海老名・湘南台まで直通する広域ネットワークの一翼を担う路線へと発展している.
北側終点の赤羽岩淵駅では埼玉高速鉄道線との直通運転が行われている.同線は2001[平成13]年3月28日に開業し, 同日より南北線との相互直通運転が開始された.埼玉県南部の浦和美園[埼玉スタジアム方面]と東京都心とを直結するこの直通運転により, 南北線は事実上浦和美園まで延びる広域路線としての性格を持つに至った.
近年の動向として, 白金高輪–品川間2.5キロメートルの延伸事業が進行中である.六本木・赤坂など都心部とリニア中央新幹線のターミナルとなる品川駅とを結ぶ路線として東京都が計画し, 2022年3月に東京メトロが鉄道事業許可を取得した.2030年代半ばの開業を目指しており, 品川駅周辺の再開発と合わせて都心南部の交通体系を大きく変える事業として注目されている.
このように南北線は, 1962年の構想から工事着手まで四半世紀を要し, さらに全線開通まで14年を費やした路線である.技術面では都内初のワンマン・ホームドア方式を確立し, ネットワーク面では相鉄線への直通を含む広域化を実現した.建設の長い歴史と先進的な技術, そして拡大し続ける直通ネットワークが南北線の本質的特徴である.

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今日も街角をぶらりと散策.
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