

日本橋ダイヤビルディング
江戸橋倉庫ビル[三菱倉庫ビル]は, 1930[昭和5]年12月に竣工した都市型倉庫ビルである.三菱倉庫株式会社が所有し, 水運時代の物流拠点として日本橋川沿いに建設された.この建物は鉄筋コンクリート造[一部フラットスラブ構造], 地下1階・地上6階建で, 船体を思わせる曲面を帯びた外観や船橋を模した塔屋, 半円形のバルコニー付き窓などを持つ独特の外観を特徴とし, 表現主義の影響を受けた代表的作品として知られる.水運と都市倉庫の機能が巧みに融合され, 荷揚げのための設備を備えていた.日本橋川をロンドンのテムズ川に見立て, 外国航路の本船が停泊しているのがこのビルのモチーフとする見方があり, 横光利一著『家族会議』[1935〔昭和10〕年]では「三菱倉庫のそびえるあたりの静かな波はヴェニスに似ている」と表現された.
江戸橋倉庫ビルの建設前史として, 明治9[1876]年に岩崎彌太郎が江戸橋のたもとに郵便汽船三菱の荷捌所を開設し, 明治19[1886]年には三菱の近代化の象徴ともいえる煉瓦造りの通称「七つ蔵」に建て替えられた.しかし大正12[1923]年の関東大震災により焼損したため, 耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート造の近代的都市倉庫として江戸橋倉庫ビルが建設された.設計は三菱倉庫株式会社, 施工は竹中工務店が担当した.
1931[昭和6]年1月, 三菱倉庫はこの江戸橋倉庫ビルにおいて日本最初のトランクルームサービスを開始した.「トランクルーム」という言葉は三菱倉庫が考案・命名したものである.当初のトランクルームは, 顧客の家具や衣類を預かって自社で保管管理を行うサービスで, 現在一般的な「場所貸し」とは異なるものであった.戦後は特に消費者向けのトランクルームの需要が増え, 江戸橋倉庫ビルの倉庫区画はすべてトランクルームとなり, 歌舞伎役者の荷物を預かることもあった.江戸橋倉庫ビルは三菱倉庫の本店が置かれ, 倉庫機能のほか事務所機能も併設される複合用途として使用されてきた.
2007[平成19]年に江戸橋倉庫ビルは東京都選定歴史的建造物に指定され, 2008[平成20]年には近代化産業遺産にも選定された.時代が下ると, 老朽化と都市開発の要請が高まり, 三菱倉庫はこの歴史的建築を保存しつつ再び活用する計画を立てた.江戸橋倉庫ビルの外観を約7割, 躯体を約4割保存する方針が採られ, 2011[平成23]年10月に建て替え工事が始まった.設計は三菱地所設計, 施工は竹中工務店が担当した.歴史的な低層部を保存・再生しつつ, その上に地上18階・地下1階, 高さ約90メートルの高層棟を新設するという構成である.2014[平成26]年9月3日, 日本橋ダイヤビルディングとして竣工した.延床面積は約30,029平方メートル, 建設投資額は138億円であった.
日本橋ダイヤビルディングは, 災害に強い中間階免震構造を採用しており, 長周期地震動にも耐え得る設計である.非常時の停電対策として全電源を非常用発電機でバックアップするほか, 断水時にもトイレが使用可能な排水循環システムを備える.環境面では, 省エネルギー性能評価[AAA]を取得し, 再生可能エネルギーにも対応する電力を使用するなど, 省エネ・環境配慮型ビルとしての性能を備えている.
用途構成は, 2階から6階に三菱倉庫の本店事務所とトランクルームを配置し, 高層部には賃貸オフィスを設けるというものである.1階エントランスやロビーは公開空間とされ, 中央区まちかど展示館「江戸橋歴史展示ギャラリー」が設けられ, 三菱倉庫の歴史や日本橋の倉庫業・物流の変遷を伝えている.また, 1930[昭和5]年の江戸橋倉庫ビル竣工時に造られた大型金庫の扉が保存展示されており, 自由に触れることができる.さらに, 1930[昭和5]年頃に製作されたイギリスのJohn Broadwood & Sons社製のピアノが「まちかどピアノ」として設置され, 自由に演奏できる.
建替えにあたり, 旧江戸橋倉庫ビルの歴史的外観保存の工夫は綿密であり, 外壁の約7割, 躯体の約4割を再利用・保存して当時の景観を可能な限り保ちながら近代ビルへと転換された.河畔には親水テラスが整備され, 地域の景観との調和や公共性も重視されている.日本橋ダイヤビルディングも東京都選定歴史的建造物に選定されており, 日本橋の新たなランドマークとして機能している.
東京・中央区日本橋@2023-11

今日も街角をぶらりと散策.
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